ミュラの歴史とは? わかりやすく解説

ミュラの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 00:53 UTC 版)

ミュラ」の記事における「ミュラの歴史」の解説

学者中にはヒッタイト時代小アジア西部にあったアルザワ(英語版王国の町として記録に残るミラMira)が後にミュラになったとする者もいるが、両者つながりには明確な証拠はない。ミュラの町が記録登場するのは、リュキア地方都市国家によるリュキア連邦紀元前168年 - 43年)が成立したのち、その一員として列挙されてからのことである。ストラボンの『地理誌』(14:665)によればリュキア連邦中でも最大級都市であったとされる。 この町に住んでいたギリシャ系住民はアルテミス・エレウテリア(Artemis Eleutheria、自由の女神としてのアルテミス)を崇拝し、アルテミス・エレウテリアはこの町の守護神とされていた。またゼウスアテーナーテュケー大い崇拝されていた。 リュキア時代、およびその後ローマ帝国時代の町の廃墟は、デムレ川が運んだ土砂の堆積埋まっている。デムレ川平の上にあるアクロポリスや、ローマ劇場ローマ浴場などは部分的に発掘進んでいる。半円形劇場141年地震崩壊したのちに再建されたものと考えられている。 岩をくりぬいて作られ墓地リュキア独特のものである垂直に切り立った大きな断崖表面墓穴をうがち、その周り神殿正面のような装飾刻んで作った墓が集積したネクロポリスミュラ付近に二つあり、それぞれ「川のネクロポリス」と「大洋ネクロポリス」と呼ばれている。大洋ネクロポリス劇場北西にある。劇場からデムレ川を1.5キロメートルほど遡ったところにある川のネクロポリスのうち、よく知られたものは「ライオン墓所」あるいは「彩色され墓所」と呼ばれるのであるイギリス考古学者旅行者のチャールズ・フェローズ(Charles Fellows)は1840年にこの墓所見たが、なおも赤や黄色や青の彩色が鮮やかであったという。 アンドリアケ(Andriake)は古代ミュラ外港であったが、後世土砂埋まってしまった。今も残る構造物には、ローマ皇帝ハドリアヌス在位117年 - 138年)の治世建てられ穀物庫がある。その横からアッキガイ科の貝(Murex)の貝殻の山が見つかっており、この地で貝紫色染料生産が行われていたことを示している。 キリスト教布教初期ミュラリュキア府主教がいる都市であったミュラは、パウロエルサレムからローマへ連行され旅の途中に船を乗り換えた場所として伝統的に知られている。ミラのニコラオス(聖ニコラオス)は4世紀ミュラ大主教人々のために働き聖人としてキリスト教世界広く崇敬されるようになった海運の守護聖人ともされている。ニコラオス325年第1回ニカイア公会議ではアリウス派激しく対立した伝えられるが、公会議参加者署名中にはニコラオスの名は見られない東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世在位408年 - 450年)の治世には、ミュラリュキア州の州都となったアッバース朝は第5代カリフ・ハールーン・アッ=ラシード治世東ローマ帝国への親征行い809年包囲戦によりミュラアッバース朝一部となった東ローマ帝国その後この地方奪還するが、ミュラ次第衰えていった。アレクシオス1世コムネノス在位1081年 - 1118年)の治世の初期ミュライスラム教徒セルジューク朝征服された。陥落後の混乱の中、イタリアバーリ出身船乗りたちが聖ニコラオス聖遺物である遺骸不朽体)などを押収しミュラ教会人々反対の中、バーリへと持ち出してしまった。1087年5月9日聖遺物バーリ移され以後ニコラオス巡礼バーリに通うようになった

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