マッカーサー記念館とは? わかりやすく解説

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マッカーサー記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 04:59 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「マッカーサー記念館」の解説

ノーフォークのノーティカスから東へ400m行ったところにあるダウンタウンのマッカーサー・スクエアには、19世紀市庁舎そのまま記念館としたダグラス・マッカーサー記念館が立地している。館内にはマッカーサー夫妻の墓や、博物館図書館設けられている。博物館には軍関連品だけでなく、マッカーサートレードマークであったコーンパイプなどの私物多数展示されている。また、伊万里九谷薩摩磁器有線七宝など、マッカーサーが、離日にあたって皇室をはじめ各界から贈られ国宝級の持ち帰った日本逸品惜しげもなく展示されている。建物は「旧ノーフォーク市庁舎」として国家歴史登録財指定されている。記念館の正面にはマッカーサー銅像立っている。 日本でもマッカーサー解任前後に「マッカーサー記念館」を建設する計画発足した。この建設発起人には秩父宮田中耕太郎最高裁判所長官金森徳次郎国立国会図書館館長野村吉三郎駐米大使本田親男毎日新聞社長、長谷部忠朝日新聞社長ら各界有力者名を連ねていた。この施設は「マッカーサー神社」と呼称されていることがあるが、この計画は、マッカーサー在任中から「ニュー・ファミリー・センター」という団体計画していた「青年の家」という青少年啓蒙施設の建設計画発展させたものであり、「元帥功績永遠に記念するため、威厳美しさ備えた喜び教養殿堂にしたい」という趣旨の下で、記念館、公会堂プール運動施設宿泊施設整備するものであって、特に宗教色のない計画であったその後当初14名の発起人加え藤山愛一郎日本商工会議所会頭浅沼稲次郎社会党書記長安井誠一郎東京都知事らも参加してマッカーサー会館建設期成会」が発足、まずは総事業費4億5,000万円をかけて三宅坂参謀本部跡に鉄筋コンクリート3階ビル建てる計画募金募ったが、募金開始が「日本人は12歳発言マッカーサー熱が急速に冷却化していた1952年2月であり、60万円宣伝費をかけて集まった募金はわずか84,000円と惨憺たる有様だった。1年後には募金どころか借金300万円まで膨らみ計画立ち消えになった。他にも東京湾に「マッカーサー灯台」を建設し降伏調印式の際に戦艦ミズーリ停泊した辺り永遠に照らす計画や、また「マッカーサー記念館」や「マッカーサー灯台」の計画より前の1949年には浜離宮自由の女神像と同じ高さのマッカーサー銅像建設しようとするマッカーサー元帥銅像建設会」が発足していた。随筆家高田保にも委員就任勧誘なされるなど 広い範囲に声がかけられ(ただし高田委員就任見送り募金開始されたが、これも他の計画と同じ時期立ち消えになり、集まった募金行方がどうなった不明である。

※この「マッカーサー記念館」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「マッカーサー記念館」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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