ボイジャー計画(1979年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:29 UTC 版)
「木星探査」の記事における「ボイジャー計画(1979年)」の解説
「ボイジャー1号」および「ボイジャー2号」も参照 ボイジャー1号は、1979年1月から木星の撮影を開始し、1979年3月5日に木星の中心から349,000kmの距離に最接近した。この接近は、より解像度の高い撮影を可能としたが、フライバイの短い期間のため、木星の衛星、環、磁場、放射環境等の観測を48時間以内に行わなければならなかった。ただし、ボイジャー1号は、写真の撮影は4月まで続けた。ボイジャー1号のすぐ後をボイジャー2号が追いかけ、1979年7月9日に木星の雲の上端から576,000kmまで最接近した。ボイジャー2号は、木星の環を発見し、大気の複雑な渦構造やイオの火山活動、ガニメデのプレートテクトニクス、カリストの多くのクレーター等を観測した。 ボイジャー計画は、ガリレオ衛星についての理解を大きく進め、また木星の環を発見した。木星の大気の最初の接近写真を撮影し、大赤斑が反時計回りに進む複合嵐であることを明らかにした。帯状の雲の中に、一連の別の小さな嵐や渦が発見され、また、環のすぐ外側を2つの新しい小さな衛星アドラステアとメティスが公転していることを発見し、探査機が発見した初の木星の衛星となった。3つ目の新衛星テーベは、アマルテアとイオの軌道の間で発見された。 イオにおける火山活動は、予期しない最大の発見であり、地球以外の天体で初めて発見された火山活動であった。ボイジャーは、9回のイオの火山噴火を記録し、それ以外の噴火が起こった証拠も発見した。 エウロパは、ボイジャー1号の低解像度写真で、多くの興味深い線状構造を見せた。最初は、科学者はこの構造が地殻隆起かテクトニクスの過程で生じた深い溝であると考えた。しかし、ボイジャー2号による高解像度写真では、地誌学的特徴は見られず、科学者を困惑させた。ここから、この溝は地球の海氷と似たものであるという説やエウロパの内部は液体の水であるという説等、多くの説が提案された。エウロパはイオの10分の1程度の潮汐熱のため内部が活発であり、結果として、30km以下の厚さの薄い氷の地殻が50kmの深さの海に浮いた構造をしていると考えられている。
※この「ボイジャー計画(1979年)」の解説は、「木星探査」の解説の一部です。
「ボイジャー計画(1979年)」を含む「木星探査」の記事については、「木星探査」の概要を参照ください。
ボイジャー計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:00 UTC 版)
1980年11月、探査機ボイジャー1号が土星系に接近し、惑星や環および衛星の高画質映像を初めて撮影し送信した。こうして、さまざまな衛星が持つ表面の特徴が明らかになった。さらにタイタンへの接近も行われ、大気についての知見を深め、可視光線が通過しないため地表の観測ができないことが判明した。最後にボイジャー1号は軌道を変え、太陽系外に向かった。 およそ1年後の1981年8月、ボイジャー2号によって土星系研究は続けられた。より接近した衛星の画像が得られ、大気や環の情報が更新された。しかし、カメラのプラットホームがトラブルから2日間稼動せず、予定されたいくつかの撮影が出来なかった。最後にボイジャー2号は土星の重力を使って軌道を変更し、天王星に向かった。
※この「ボイジャー計画」の解説は、「土星」の解説の一部です。
「ボイジャー計画」を含む「土星」の記事については、「土星」の概要を参照ください。
ボイジャー計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 03:35 UTC 版)
「グランドツアー計画」の記事における「ボイジャー計画」の解説
ボイジャー計画で打ち上げられた2機の宇宙船は、グランドツアー計画と同じミッションコンセプトを維持していた。ボイジャー1号の軌道はタイタンでのフライバイに、ボイジャー2号の軌道はグランドツアーに最適化された。2号の土星到達は1号の9か月後のため、その間に2号でグランドツアーを行うかどうかの十分な検討が行われた。さらに、2号を先に打ち上げることにより、2号の打ち上げに失敗した場合でも、1号の軌道をグランドツアー向けに再設計することができる:155。1号のタイタンでのフライバイをスキップして、土星から冥王星へと進むことも考えられたが、パイオニア11号の画像によりタイタンに十分な大気があること判明し、冥王星よりもタイタンの探査の方を優先した。冥王星の探査は、2015年のニュー・ホライズンズまで待つことになる。 ボイジャー1号のタイタンでのフライバイでは、大気の影響でタイタンの地表は見えなかったが、地表に液体炭化水素の湖が存在することを示す有力な証拠など、この衛星に関する貴重なデータが得られた。1号のミッションが完了したことで、2号の天王星と海王星への延長ミッションが承認され、1964年に提案されたグランドツアーの目標が達成された。
※この「ボイジャー計画」の解説は、「グランドツアー計画」の解説の一部です。
「ボイジャー計画」を含む「グランドツアー計画」の記事については、「グランドツアー計画」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からボイジャー計画を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ボイジャー計画のページへのリンク