ボアソナードの自然法論
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「民法典論争」の記事における「ボアソナードの自然法論」の解説
ボアソナードの法思想は政教分離の近世自然法論とは異なり、トマス・アクィナスのスコラ学を基盤とする宗教的自然法思想であった。 もっとも、離婚の認容や死刑廃止論など、伝統カトリックと異なる面も有していた。仏教・儒教にも敵対せず、法典論争ではキリスト教やモンテスキューの法思想との共通性を指摘している。 彼は、人間を全生物の長とするカトリック神学を背景に、人間は自然的に善であると考える。つまり、悲観主義のカール・マルクスに対比される、人間の善性を信じる楽天主義の立場にあり、アダム・スミスの流れを汲む自由主義経済の信奉者であった。 良き経済学派に、すなわち契約の自由に賛成である…無知な、あるいは悪しき社会主義者の学派が、賃金と地代の問題を、暴力…略奪…放火によって解決しようとしているのに対して…需要と供給の自由な活動にすべてを期待する。かれはストライキは許容するが組織的反乱を非難する。 — ボアソナード「経済学者としてのラ・フォンテエヌ」1872年、パリ 1880年(明治13年)の官営事業民間払い下げ決定を受け、2年後には労働問題を見越して農商務省で工場条例(現労働基準法)制定に着手。明治政府が労働者の「悲惨状態の救世主」になろうとしたことは講座派マルクス主義からも高く評価されるが、これに反対したのがボアソナードであった。 ボアソナード…氏の経済説は法律上の思想に於けるが如く第18世紀の臭味を帯び今日の経済学上既に陳腐に属する。…ボ氏は成年男子の労働に対して論じて曰はく…成年男子に対して労働の制限を設け特別の保護を与へるが如きは無用の干渉にして一個人の自由を妨害するの甚しきものにあらずや、寧ろ之を自由競争に任せ自然的の経済調和に委するに若かずと…個人に無限の自由を許し少しも制限する所なくむば是国家なきに等とし、是れルーソー類の理想的自然社会に立帰りたるものなり…自然の調和なるものは社会上経済上の地位…対等…の間に於てのみ之を見る可し、労働者と資本家企業家との間に於ては…絶対的の自由は結局実際の不自由を来すものと謂う可し。 — 金井延「「ボアソナード」氏ノ経済論ヲ評ス」1891-92年(明治24-25年) このために、彼は延期派のみならず、後世の共産主義者からも激しく批判された。 私所有権の絶対尊重、契約の自由、過失責任の三大原則…がボアソナード氏の所謂万古不変の性法の内容である!だが之は人間社会の自然の姿でも何でもなく、勃興期に於ける資本主義社会の姿以外の何ものでもない。 — 風早八十二「『性法講義』解題」1929年(昭和4年) 必ずしも普遍的とは言えない制度に自然法の名目を与えて固執する近世自然法論の弊を、彼もまた踏襲していたのである。
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