フロイト説への評論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 00:45 UTC 版)
「抑圧された記憶」の記事における「フロイト説への評論」の解説
エレン・バスの『The Courege to Heal』(1988年)やジュディス・ハーマンの『Trauma and Recovery』(1992年)など、フロイトが誘惑理論から退行したため心的外傷論も放棄したかのような誤解は多いが、実際はフロイトはその後も心的外傷論の立場は崩していない。『自我とエス』の方のテキストを重視したフロイトの娘であるアンナ・フロイトは、自我心理学を開き自我を強くする事こそが病理を直す助けになると唱えたが、自我心理学のやり方は間違っているとして「フロイトに帰れ」と唱えたジャック・ラカンは『快感原則の彼岸』の方のテキストを重視し、現実界・象徴界・想像界という三界が存在し、フロイトがエディプスコンプックスと呼んだものを言語機能におけるシニフィアンの法として読み替え、言語的領域に当たる象徴界が機能の破綻をきたし、死の欲動に当たる現実界が直接想像界に影響を及ぼすことで精神病状態が生み出されると考えた。 しかし、この説の変換のために、アメリカで1980年代から1990年代にかけ回復記憶運動が起こりそれに対する反発が強まった1990年代初めに、被害者の支援側からは記憶が幻想だと主張したとしてフロイトは加害者側の味方として非難され、一方で訴えられた側は抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になるという誤った心的外傷論を打ち立てたとしてフロイトを被害者側の味方として非難する状況が作り出された。アンドリュー・ヴァクスの小説『赤毛のストレーガ』(1987年)では、小説の中の会話として実際のフロイトは女性の訴えの中にある近親相姦の話について、政治的な問題もあって否定も肯定もせず結論を出すことそのものを回避したのだと指摘している。 この両者の批判の結果、フロイトは「記憶の幻想の主張」(主に被害者側)と「記憶の捏造の促進」(主に加害者側)の面で二重の非難を浴びる結果となり、フロイトの評価は1990年代に一時酷く落ちてしまった。ただ、元々両者ともフロイトの仮説に対してまともに検証もせず批判を繰り返しただけだったこともあり、後に神経学者らがフロイトの考えにフォローを入れたので少しは復活している。 また、フロイト自身も子守女性レジから性的虐待を受けていたのではないかとの指摘もある。エロスとタナトスの二元論に基づき、「必死に生きたい」と「死を追い求める」の混合した感情を外傷神経症患者が持っているとすると、その患者は客観的には狡猾で曲がりくねった性格で、紆余曲折だらけの行動を行い、逆説的で奇妙な言動を行う人物に見えるかもしれない。だが、それこそが性的虐待サバイバーの毎日でもある。近年の脳科学研究においては前頭前野による極限的判断が抑圧された記憶を作り出している事が示唆される。また、Thomas Percy Rees (1899年 - 1963年) によれば超自我が前頭葉の働きに依存する事がロボトミーの実験から示唆されている。van der Kolkによれば皮質の体性感覚野の内部の記憶がフラッシュバックやパニックの発作で表現されるという。だが、現在のところ、理論として確立され広く容認されるまでには至っていない。
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