フロイト精神分析の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:07 UTC 版)
「解離性同一性障害」の記事における「フロイト精神分析の影響」の解説
ヒステリーの研究ではフロイトも有名であり、1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因論のために」という講演で「いかなる症例、いかなる症状から出発しようが、最終的には不可避的に性的体験の領域に到達する」と論じている。つまり「早すぎる性的体験」を無意識の中に抑圧し、それによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶが中身は外傷理論に一見似ている。この段階では、ジャネやピネー (Pinney.A) と近くも見える。しかし翌年にはフロイト自身がその「誘惑理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える。この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。そしてフロイトは、ライバルであるジャネの精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。 20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離 (The dissociation of a personality)』 がある。しかしその後のフロイト精神分析のアメリカへの浸透の中で「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患」との批判を受ける。こうしてフロイト精神分析の興隆とともに、「解離」という概念は少なくとも北米の精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ とビネー (Binet.A) が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは、1970年のエレンベルガー (Ellenberger, H.F.) 『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。
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