フジ時代
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1978年(昭和53年)9月27日の中国新聞に、社長の話として、フジ広島店を1980年(昭和55年)秋を目処に出店する意向であると明らかになった。商工センターへの移転後に、空家になる十和本社を増築して利用し、当時9,000m2の建物を18,830m2に増築。1000台収容の駐車場を整備するとした。店舗のコンセプトは、食料品・衣類・レジャー用品などが揃う『都心型ワンストップショッピングセンターを目指す』とした。また、他の店舗に迷惑をかけないために、食料品中心の店舗にするともした。 1981年(昭和56年)8月28日の広島商工会議所の『商業活動調整協議会』で、申請面積より38.9%カットされたが、それでも売り場面積は13,000m2が認められ、中四国最大のスーパー誕生が決まった。面積の決定に関して、広島駅前再開発の関係から抑えられた側面もあった。 1981年(昭和56年)9月12日付の中国新聞で、同月の『フジショッピングスクエア高陽店』(現・フジグラン高陽)出店と、翌年の当店開店による既存小売店の影響について、イズミはいづみ八丁堀店(のちのウィズワンダーランド→ヤマダ電機→ドン・キホーテ)の手直しと、中型店3店舗を新設し広島市内10店舗で『巨大戦艦』と称された当店に対抗すると報道された。また、同時期にフジは隣県の山口県岩国市への店舗出店や、商工センター(西部流通センター)への出店計画(実現せず)が存在した。 当初は、1982年(昭和57年)6月11日に開店予定だったが、フジの現金授受疑惑などで、商店街の反対運動拡大。開店予定が延期された。その後の調査の結果、同年9月4日に『商業活動調整協議会』で届け出通りの店舗面積で結審、同年9月8日には大規模小売店審議会でも認めたことで、疑惑がなかったことを確認し出店へのハードルが無くなり、同年9月16日に同年10月14日に予定より4ヶ月遅れの開店が決まった。 1982年(昭和57年)10月14日にフジとしては30番目、広島県内では『フジショッピングスクエア高陽店』(現・フジグラン高陽)に次いで2店舗目として、『フジショッピングスクエア広島店』の名称で開業した。開店日には8万人の客が押しかけた。 当時三越広島店に次ぐ店舗面積で、広域集客を狙った店舗構成をしていた。また、開店時点で『フジ最大の店舗面積を持つ店舗』及び『中四国一の店舗面積を持つスーパーマーケット』でもあった。 広島最大のスーパー開店で既存店舗の改装が相次ぎ、ユニード広島店はディスカウントに店舗形態を変更。いづみ八丁堀店(のちのウィズワンダーランド→ヤマダ電機→ドン・キホーテ)は約8億円かけて全面改装。ダイエー広島店は駐車場の増設など、対フジ対策を行った。 他の大規模店舗と同様、1992年(平成4年)9月23日に現在の『フジグラン広島』に改称した。 1996年(平成8年)2月28日に店舗面積が約2倍になる増床改装工事を実施。店舗面積は、従来の13,070m2から、12,353m2増やされ25,423m2に。直営部分面積は9,741m2から、9,236m2増やされ18,977m2に。テナント部分は3,329m2から、3,117m2増やされ6,446m2になった。背景として、競合する店舗が増えたことで、現状並みの売上を確保する目的で行われた。 2007年(平成19年)12月の中国新聞に当店を全面改装する旨の記事が掲載され、そして2009年(平成21年)8月4日にフジよりリニューアル計画が発表された。建物の老朽化により客のニーズに答えきれなくなったとして建て替えを行う事になり、同年9月より旧店舗での営業縮小を開始した。その後旧店舗建物で、2010年(平成22年)5月5日まで営業された。その後、現店舗建物の一部を部分完成させて、食品スーパーをメインとした仮店舗が同年5月9日より営業開始。2011年(平成23年)8月16日まで仮店舗での営業が行われた。1ヶ月間の完全閉店期間に関しては、フジグランから近隣店舗(フジグラン安芸店・ヴェスタ白島店など)への無料シャトルバスの運行を随時行い対応した。 その後、仮店舗部分も改装され現店舗の一部になり、地下1階地上5階建て(一部6階建て)の建物が完成。2011年(平成23年)9月28日にプレオープン。同年10月1日に『フダン グラン。』のキャッチコピーで正式にオープンした。店舗コンセプトも、競合店舗の増加より広域集客から、一人暮らしをターゲットにした店舗に変更された。
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