フスの著作、教え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:43 UTC 版)
チェコにおいて、フスは生前は預言者または使徒として尊敬され、死後は聖者あるいは殉教者として崇拝された。一方で、プラハ大学や教会の敵対者と争う中で、さまざまな中傷や非難を受けることもあった。 フスはウィクリフの著作(Trialogus)を翻訳し、神の聖体、教会、教皇に関するウィクリフの理論や、とりわけ説教に関する理論には精通していた。フスの教義の根幹は次のような考えだが、これはウィクリフが書いた教会と教皇の力に関する本に含まれている。 本来の教会は、一般に教会が主張する階層制度ではない。教会は、時をこえて救世を運命づけられた人の聖体であり、その長は教皇ではなくキリストである。教皇に従えば救済を受けられるなど、神の教義の条文には書いてない。さらに、形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない。 フスの学識は幅が限られており、ほとんどがウィクリフの理論だった。フスの説教では、ウィクリフの言葉をほとんどそのまま使って、教会や聖職者・僧侶の堕落や、世俗の人の義務などについて述べた。フスの代表的な3つの説教(De suffcientia legis Christi, De fidei suae elucidatione, De pace)もウィクリフの説教の正確な再現であった。フスはコンスタンス公会議をも、この説教によって説得しようと考えていた。またウィクリフに従って予定説を論じたが、ウィクリフとは異なって聖職位階制に対しては否定しなかった。 フスの著作のほとんどは、ズノイモのスタニスラフおよびシュテファン・パレチとの討論のための論述文で、厳密な意味で改革書といえる著作はほとんどなかった。
※この「フスの著作、教え」の解説は、「ヤン・フス」の解説の一部です。
「フスの著作、教え」を含む「ヤン・フス」の記事については、「ヤン・フス」の概要を参照ください。
- フスの著作、教えのページへのリンク