ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
---|---|---|
ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Nr.2 B-Dur Op.83 | 作曲年: 1878-1881年 出版年: 1882年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
|
---|---|---|---|
1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro non troppo | 18分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Allegro appassionato | 9分00秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Andante | 12分30秒 | No Image |
4 | 第4楽章 Mov.4 llegretto grazioso | 9分30秒 | No Image |
作品解説
《ピアノ協奏曲第1番》が初期の代表作であるならば、この《第2番》はキャリアの最盛期に生まれたブラームスの代表作といっても過言ではない。ベートーヴェンの中期傑作郡をして「傑作の森」と呼ぶことがあるが、この時期のブラームスもまた彼の森に深く足を踏み込んでいた。
ヴィーン時代に母が逝去、それを受けて作曲した《ドイツ・レクイエム》の発表(1868)によりブラームスの作曲家としての評価は揺るぎないものになった。そして1876年には20年近い制作期間を経て《交響曲第1番》が完成、翌年には早くも第2交響曲が初演されている。ブラームスの交響楽がようやく作品として具体的な結実を見たこの時期に書かれた《ピアノ協奏曲第2番》は前作に較べて自ずと交響楽的側面を深めたものになっている。50分という演奏時間は当時の協奏曲の中でもかなり長い。しかしこの作品に対する評価は極めて高く、初演されるや否や各地で再演を重ねた。
モーツァルトによって確立された「緩―急―緩」という3楽章から成る協奏曲という枠組みはここではあっさりと外されており、第2楽章に情感深いスケルツォが配されているのが構造的な特徴である。また、演奏会の花形(オーケストラをバックに存分に腕を振るうヴィルトゥオーゾ)としての協奏曲や、自身の第1番のように独奏、室内楽、交響楽といった諸様式を聴かせるものとも異なり、しっかりと独立したソロを聴かせながらも基盤になっているのはあくまで交響楽的な構想である。第3楽章では主題を奏するのが独奏チェロであるところも耳を惹かれる。ピアノ対オーケストラという図式よりも、ピアノ付の交響曲とでもいうようなニュアンスが強い。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
---|---|---|
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Nr.2 B-Dur K.39 | 作曲年: 1767年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
|
---|---|---|---|
1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro spiritoso | 5分30秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Andante | 5分30秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Molto allegro | 3分30秒 | No Image |
作品解説
モーツァルトのオリジナルなピアノ協奏曲は第5番からであり、1767年、11歳のときに生み出された第1~4番のピアノ協奏曲は、他人のピアノ・ソナタの編曲である。原曲は主にパリで活躍していたドイツ系作曲家のものであり、旅行中の交流によって、モーツァルトに強い影響を与えた。父レオポルトは彼らの作品の楽譜を持ち帰り、息子に協奏曲の作曲を練習させたのだろう。自筆譜には、父親の筆跡も残っている。
当時のパリはヨーロッパにおける文化的中心地であった。1760年代、各地を訪れていたモーツァルト父子がパリに滞在したのは63年11月からの5ヵ月間と66年5月からの2ヶ月間である。2度のパリ訪問を含むこの西方旅行によって、少年モーツァルトはさまざまな音楽を吸収し、作曲の幅も広げることになった。4曲のピアノ協奏曲はその成果のひとつといえよう。
各楽章の原曲は以下のとおり。
第1楽章=H. F. ラウパッハ(1728-78)、作品1-1(第1楽章)
第2楽章=J. ショーベルト、作品17-2
第3楽章=H. F. ラウパッハ、作品1-1(第3楽章)
ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ(1728-78)は北ドイツに生まれ、サンクト・ペテルブルクで活躍した音楽家。モーツァルトと出会ったのは、ちょうどロシアを出てパリに来ていた1766年と思われる。パリで活躍していたヨハン・ショーベルト(c1735-67)は、少年モーツァルトに大きな影響をもたらし、《クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ》K. 6~9作曲のきっかけを与えたと考えられている。ただ、父レオポルトは彼に好印象をもたなかったらしい。
「ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
- 浄瑠璃などにおいて,第2番目の区切り
- 月の第2番目の日
- ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調のページへのリンク