ババロン、ピラミッドの都市、パンの夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 02:54 UTC 版)
「セレマ神秘主義」の記事における「ババロン、ピラミッドの都市、パンの夜」の解説
詳細は「ババロン」、「ピラミッドの都市」、および「パンの夜」を参照 コロンゾンはアビスの住人であり、彼の仕事は旅行者を彼の幻想の無意味な世界に捕らえることである。しかしながら、ババロンはその反対側にいて、(生命の樹のビナーのセフィラで)手招きしている。もし、アデプトが彼自身を彼女に与えたら、——この行動の象徴はアデプトの血を彼女の聖杯に注ぐ——彼は彼女に身籠り(「深淵の嬰児」(Babe of the Abyss)と呼ばれる)、そしてピラミッドの都市に住む達人と聖人として生まれ変わる。 ピラミッドの都市は偉大なアビスを越え、すべての血をババロンの聖杯に注いだアデプト達の家である。彼らは地上のエゴ・アイデンティティを破壊して、山のような塵(すなわち、「私」という自己意識のない真の自己の残された要素)でしかないものになった。その中で、彼らは聖人またはネモ(Nemo:ラテン語のNo-Man)の名前または肩書きを得る。銀の星の体系では、彼らは神殿の首領と呼ばれる。これは、精神的な純化の道に沿った一つのステップであり、俗世界に対する執着を手放すことに成功した人のための精神的な休憩所である。 それらのアデプト達は、霊視と幻聴(Aethyr 14)とConfessionsでこう書かれている。 これらのアデプト達はピラミッドのように見える。——彼らの(頭に被る)フードとローブ(法衣)はピラミッドのようだ。(中略)そして、至福のヴィジョンはもはやなく、最高の名誉もない。そこにはもう知識はない。至福もない。権力もない。美もない。ここは理解の宮殿だから。汝の魔術は原始のものだから。 それ故に、神殿の首領は、彼が大いなる業をするためにそこに送られて行う場合を除き、物事の計画を妨げない。なぜ彼は投獄、国外追放、死に対して闘うべきなのか?(中略)神殿の首領は、人からかけ離れ、彼が現実化したすべての事は彼にとって重要ではない。彼の業が重要になるのは、人が王座に座る、または吊るされることであろう。 私は、すぐさま暗黒の中に染みつけられた。私の天使は神殿の首領の神秘へ参入する秘密の言葉を囁いた。現在、私の目は(最初は石の形に見えた)不動の威厳に包まれ静寂に覆われた首領達を注視した。首領達は皆全く同じように見えた。そして天使は私の大志をどこに導くか理解し命令した。つまり、すべての力、すべての恍惚、はここに終わった——私は理解した。彼は、今から私の名前はネモだと言い、パンの夜の下ピラミッドの都市で他の静寂の形の中の座るように告げた。つまり、私がアビスより下に残して来た私の別の部分は、私の行動によって作り出されたエネルギーのための乗り物として奉仕しなければならない。これまで従ってきたエゴの困窮した私の精神と体は、世界の本質と一致して顕現するために、人類の進化を援助するために彼ら自身に捧げるために、今、自由になった。私の場合、私は木星の天球に追放された。私の死すべき部分は、管理すること、教えること、創造すること、そしてより高潔に、より神聖に、より価値のある、より王らしく、より親切に、より寛大になることを切望する人に強く勧めるという木星的作業で人間性を助けることだった。 その都市はパンの夜(Night of Pan)、またはN.O.X.の下に存在する。陽気で好色なパンは、自然、情欲、男性の生殖力を表すギリシャ神話の神である。ギリシャ語のパーンは、すべてとも訳し、よって彼は、「普遍的特性の象徴、自然の化身」であり、Pangenetor(すべての子孫をもうける人)とPanphage(すべてを貪る人)の両方である。(Sabazius, 1995)故に、パンは人生の与える人と奪う人の両方で、彼の夜は、エゴの自己の恍惚の破壊のすべてを通じてアデプトが統一を経験する象徴的な死の時間であり、それはすべての限界を超え、宇宙とのワンネスを経験する状態である。
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