ハート=フラー論争とは? わかりやすく解説

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ハート=フラー論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/13 20:02 UTC 版)

ロン・フラー」の記事における「ハート=フラー論争」の解説

1958年ナチス支配法実証主義関係性指摘したラートブルフ見解をめぐり、1958年のハーバード・ロー・レビュー誌上論争始まった論争口火を切ったのは、ハート論文実証主義および法と道徳分離であったその内容概ね次のとおりであり、法と道徳明確に分離するものであった法実証主義根本テーゼたる「在る法」と「在るべき法」の峻別(=「法」と「道徳」の峻別)は、第二次世界大戦後自然法論復活により劣勢に立たされている。ラートブルフ自然法論転向し法実証主義(=「法律法律だ」とする)がナチス支配招いた論じた。しかし、ナチス邪悪な法を批判するならば、「不正な法は法ではない」という論じ方よりも、「法ではあるが、道徳的にあまりに不正なものであり、それゆえ服従することも適用することも不可能である」という論じ方をすべきある。なぜならそのほうが、道徳的立場からの実定法批判余地を残す点でより誠実であるし、何より法と道徳混同することは法の神秘化をもたらしそれこそ危険だからである。たしかに法制度の多くは「自然法最小限内容(=minimum content of natural law)」を含んでいるが、これによってナチスが行たような邪悪な行為阻止するのは不可能である。 これに対しフラー同年論文実証主義および法の内在道徳――ハート教授への返答」および1964年出版の『法と道徳(The Morality of Law)』において、「法の内在道徳(internal morality of law)」の観念武器ハート批判した。その概略次のとおりであった。 法と道徳の関係を把握するにあたっては、実定法を導く外在道徳としての自然法の面だけでなく、法と呼ばれるものが必ず含んでなければならない道徳的要素、すなわち「法の内在道徳」の面も考えるべきである。具体的には、(i)一般性(=誰に対して適用されること)、(ii)公布(=公布によって広く人々知らされること)、(iii)将来効(=公布後にのみ発効し遡及しないこと)、(iv)明瞭性(=誰にでも理解できる明瞭な表現書かれていること)、(v)論理的首尾一貫性(=相互的論理的に矛盾がないこと)、(vi)遵守可能性(=遵守不可能なことを要求していないこと)、(vii)恒常性(=むやみに変更されないこと)、(viii)公権力行動合致していること、の八原理である。これらは法の根本的要請であり、伝統的な実体自然法ではないが、一種の手続的自然法として、立法者・裁判官理想を示すだけでなく、法システム存立作動不可欠な条件をも示しており、これらの八原理のどれか一つでも全面的に損なわれると、もはや「法」のシステムではなく市民遵守義務もなくなる。 ハートは「ナチスの法も法であることに変わりはない」と主張するが、ナチス法は遡及法令や秘密法令頻繁に活用し都合悪ければ自ら制定した法さえ無視した点で、以上のような要請決定的に欠いており、「法」システム存在しなかった。ドイツ法実証主義は「法の内在道徳」を一切省みなかったため、その当然の帰結としてナチス支配体制至ったのであり、その意味ラートブルフ見解は妥当であり、少なくとも法と道徳緊張関係についてよ理解していた。 フラーはこの反論で、「法の内在道徳」が完全に無視されていた状況では法システム自体存在せず個々法律遵法義務もなかったとして処理することができる、という見解示したであった。そして、ハード・ケース(=法解釈分かれていたり、判例変更求められる難し事件」)における法の解釈問題において、法解釈とは法の支配目指す目的志向的過程であり、「法の内在道徳」の八原理において中枢的位置占めている点を強調した上でハート理論は全く役に立たない批判した。 この論争は、「不正な法は法ではない」という論じ方と「法ではあるが、道徳的にあまりに不正なものであり、それゆえ服従することも適用することも不可能である」という論じ方のいずれが抵抗論理として有効か、という観点からではなくいずれの立場が法という現実を適切かつ全体的に捉えているか、という観点から評価すべきであるこのように見ると、ハート議論論理的明晰さ追求するあまり論点単純化され傾向があり、対してフラーは常に現実法律問題解決する原理求める、という法律家態度をもって問題分析進めていると言えるまた、他方から見ればフラー法制度に備わる道徳こそ法の基礎であると主張するのに対しハートは、法制度がたまたま含む道徳強調することが「法の自立性」を損なうと主張しているのであり、「法の存在意義」を問う論争であったとも言えよう。 論争自体最後まで平行線たどったまま決着しなかったが、その後の「法と道徳」の関係をめぐる理論決定的な影響与えた点で、法思想史的に重要な位置占めることとなった

※この「ハート=フラー論争」の解説は、「ロン・フラー」の解説の一部です。
「ハート=フラー論争」を含む「ロン・フラー」の記事については、「ロン・フラー」の概要を参照ください。

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