ドイツ語への影響
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「マルティン・ルター」の記事における「ドイツ語への影響」の解説
またルターは主に聖書翻訳を通じて、近世ドイツ語の規範の確立に大きく寄与した。一方でルターは国際語としてのラテン語の長所を理解しており、神学的著述のみならずラテン語によるミサ曲の作曲も行っている。 ルターにとっては公衆に広く理解されるということが最も重要であり、ルターのドイツ語重視を単なる民族主義的熱情と理解することはできない。ルターが民族主義と離れていたことは、民間伝承の英雄ディートリヒや民話などを説教に用いる神父をルターが軽蔑していたことにも表れる。それら大衆のものは文化的ではなく(教会の教養者の多くがそう考えていたように)教会の教えに反する「ロバの話」無教養の産物と断じられた[要出典]。 また、アリストテレスやプラトンを異教者とし、それについて語る神父もまたルターの軽蔑の対象だった。
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ドイツ語への影響
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マルティン・ルターの聖書翻訳は、ドイツ語への最初の翻訳ではなかった。既に10種類の翻訳が存在したのである。ルターの業績は、一方では、文章構成に於いて「民衆の口に示した」こと、即ち口語に近いような短くて含蓄のある文章を創造したこと、そして他方では、官庁で使われる統一的な言葉、つまり「一般的ドイツ語」を採用したことにある。ルターは古代の文体論や修辞学の遺産を好んで用いたが、このことは彼の聖書が記憶に残り易くなることに本質的に貢献したのであった。ルターの言語は東中部ドイツ語であったが、ルターは言葉を選ぶ際には常にフランク地域に赴き(ニュルンベルクは宗教改革思想の中心的な積替え地であった)、そこでは東中部ドイツ語(テューリンゲン・オーバーザクセン語など)の単語が通じないことに何度も気づかされ、単語を高地ドイツ語で理解しやすいように変更した。それ故、ルターは個人的にはMägdichen「少女」と言っていたが、聖書の中ではMägdleinの語が書かれている。ルターの故郷から出ている諺的になった語は、「少しばかりの寄付(Scherflein)をする/新共同訳:レプトン銅貨2枚を入れる」(ルカ21.2)という言い回しであるが、Scherfというのはエアフルトの小銭のことである。 ルター聖書が好まれたために、ルター聖書に強く依拠している聖書をカトリックの神学者が購入したものの、当然のごとく「異端者」の名前をタイトルページから削除した、というようなことも起こった。こうした知的財産の盗用にルターは抗議した(とはいえ、当時は著作権は未だ知られていなかったため、盗用を妨げることはできなかったが)。ルターは自身の翻訳の広範囲での普及を通じて初期新高ドイツ語の成長に対して一定の影響力を有したが、この影響力は長きに渡って過大評価されてきたものである。ヤーコプ・グリムは、「新高ドイツ語は実際にプロテスタント方言と見做され得る」と判断を下した。ルターが純粋に新しく作り出した諸語や、ルター聖書によってルターの東部中ドイツ語という発祥の地を越えて超域的な意味を与えられた諸語についてであれば、このことは妥当である。しかし、ルターの正書法については該当しない。ルターに排除されたポメラニア人がルター聖書を低地ドイツ語に訳したにも拘らず、ルター聖書の権威はプロテスタントの北ドイツに於ける低地ドイツ語の抑圧に寄与したのである。
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