近世ドイツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 03:16 UTC 版)
19世紀までのドイツでは、農民は村の共同体に所属して、共有財産を管理していた。特に東部では、彼らは永久に土地に縛り付けられた農奴であった。彼らは、ドイツ語ではバウアー(Bauer)、低地ドイツ語ではボアー(Bur)と呼ばれた。 ドイツのほぼ全域の農民は、地主貴族に地代や労役を納める義務を負った小作農だった。農民の代表は、農地を監督して溝渠権や放牧権を管理し、村では軽犯罪を裁く小法廷を取り仕切った。農民の家庭内では家長がすべての決定権を握り、子どもたちにより有利で恵まれた結婚をさせられるよう努めた。大部分の農民の村規模での活動は、教会と祝祭日を中心としていた。プロイセンでは、徴兵される者を選ぶために農民たちが村でくじ引きを行った。貴族は自らの領地の村に対して非常に強い影響力を持っていたが、日常生活にまで介入することは滅多になかった。
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