近世までの沿革
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持統天皇3年1月3日(669年2月8日) - 日本書紀に陸奥国優𡺸雲(うきたむ)郡として記されている。 和銅5年10月1日(712年11月4日) - 管轄国が陸奥国から出羽国に変更。 康暦2年(1380年) - 長井氏は8代広房の時、伊達宗遠に追われ、置賜郡は伊達領となる。 天正19年(1591年) - 豊臣秀吉の奥州仕置により伊達政宗は国替えを命ぜられ、岩出山城に遷り、代わって蒲生氏郷が会津に配置され、置賜郡は蒲生領となる。 慶長3年(1598年) - 蒲生氏は宇都宮に移され減封。代わって越後の上杉景勝が会津に入り、置賜郡はその家臣である直江兼続が統治する。 慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦いで東軍が勝利したため、西軍であった上杉景勝は徳川家康に降り、翌年(1601年)、会津地方が没収され、上杉景勝の領地は置賜郡・信夫郡・伊達郡のみとなった。以後、置賜郡は上杉氏のもと、米沢藩として機能する。財政難のため一時は領地を返上することまで検討されたが、第9代藩主上杉治憲(鷹山)による改革によって藩政を建て直し、幕末まで存続した。
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