古代から近世までの沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:42 UTC 版)
8世紀以前:海道蝦夷の勢力圏として、律令国家の外にあった。 758年(天平宝字2年): 律令国家の対蝦夷政策の拠点として桃生城築城。後世の本吉郡域は、桃生郡として律令国家に組み込まれてゆく。 811年(弘仁2年)以前:桃生郡北半が分割され、後世の本吉郡北部(現気仙沼市域)を含む気仙郡が成立。 12世紀初頭以前:桃生郡の北部及び気仙郡の南部を合わせ、海上交通の拠点である現南三陸町志津川地区を中心地とする本吉荘(元良荘とも)が成立。当初は摂関家領荘園、のちに後院領(天皇直轄領)荘園となり、金や馬を納めた。年貢運上を請け負った奥州藤原氏の拠点の一つとなり、藤原秀衡の四男本吉冠者高衡の名字の地ともなった。。 1611年(慶長16年):スペインの探検家セバスティアン・ビスカイノが、牡鹿、桃生、本吉、気仙各郡の沿岸を測量。 1646年(正保3年):江戸幕府の鎖国政策のために、仙台藩主伊達忠宗の命により、領内5か所の沿岸監視所の一つとして、歌津村(現南三陸町歌津地区)泊浜に唐船番所が設置される。
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