古代から近代初頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 12:43 UTC 版)
アリストテレスの段階 アリストテレスは希: ὑποκείμενον 英語表記:Hypokeimenon ヒュポケイメノン、という用語を用いていた。ヒュポケイメノンは、ヒュポ+ケイメノン =下に + 置かれたもの、という意味の語である。またアリストテレスはantikeimemonという言葉も用いていた。これは「向こうがわに置かれたもの」という意味である。antikeimenonは『形而上学』においては、複数形で登場し、「たがいに対立しあうもの」という意味で用いられ、Περὶ Ψυχῆς 『ペリ・プシュケース』では単数形で登場し、「思考や感覚の働きに対置されるもの」という意味に使われた。ただし、アリストテレスにおいてはhypokeimenonとantikeimemonは特に対をなしていたわけではない。 ラテン語への翻訳 アリストテレスの「hypokeimenon」は、属性の担い手である「基体」や文法上の主語を意味していて、それらが(中世ヨーロッパで)ラテン語のsubjectumやsubstratum、substantia、suppositumなどと訳された。またアリストテレスの『形而上学』の「antikeimemon」は、ラテン語ではoppositaと訳され、『ペリ・プシュケース』の単数形の「antikeimemon」はobiectumと訳された。中世から近世初頭にかけて使われたラテン語の訳語 subjectumとobiiectumも、対概念を成していたわけではない。 subiectumとobiectivusの意味の相互に異なる変遷 実は、hypokeimenonおよびそれのラテン語訳subiectumは、古代ギリシアからヨーロッパ近代初頭までは、一貫して(属性を担う)「基体」や(文の)「主語」を意味していたのであり、カント以降の「主観」という意味はまったく含まれていなかった。実は、近代初頭までのsubiectumは、心の外にそれ自体で自存するものであった。 一方、obiectivusのほうは、意味がかなり変遷してきた。アリストテレスにおいてantikeimenonが「対象」を意味していたが、ラテン語に翻訳されたobiectivusは中世のスコラ哲学や近代初頭の哲学において「quod obiicitur intellectui 知性に投影されたもの」を意味するようになった。 それがよくわかることに、たとえばデカルトやスピノザのもとにおいても、realitas obiectiva というのは、 realitas actualis(現実的事象内容)や realitas formalis(形相的事象内容)と対比的に、「単に表彰されたかぎりでの事象内容」つまり可能的事象内容を意味していたのである。 したがって、中世から近代初頭まで、実は、subiectumのほうが、それ自体で存在する客観的存在者を意味し、obiectumのほうが主観的表象を意味していたのであったのだが、これがカントのころから意味が逆転し、ラテン語のsubiectumがobiectumがドイツ語に訳されたSubjektやObjektが、カントあたりでそれぞれ(現在のような)「主観」と「客観」を意味するようになり、しかもカントあたりで二つの用語・概念が対をなすように扱われるようになったのである。
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