近世の養母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:24 UTC 版)
江戸期には薩摩国日置郡市来郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では1,919石余、「旧高旧領取調帳」では1,965石余であった。 慶長3年に島津義弘が朝鮮より連れ帰った陶工を串木野郷下名村島平から地内に移された際に陶工の居住区域となった養母村の一部が苗代川村(現在の日置市東市来町美山)として分村した。養母村は市来郷のうちであったが、分村した苗代川村は伊集院郷のうちとなった。
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