近世の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:33 UTC 版)
慶長7年(1602年)、家康より当寺は朱印80石を受ける。翌年、徳川家康は京の朝廷より征夷大将軍の宣下を受ける。 吉田三ヶ寺に数えられ、龍拈寺(曹洞宗)・神宮寺(天台宗)とともに三河吉田藩では代表する寺院であった。寺紋は将軍家の葵の御紋を使用。将軍の宿泊所としても用いられ、朝鮮通信使の宿舎にもなった。 元和年間に後水尾天皇へ納豆(糸引き納豆ではない)を献上。「ひく汐に わたりかかれば 三河なる 浜名は落ちて ここは八橋」との御製を賜る。 元和元年以後、京の知恩院の直末となり宗派の名僧を住持とした。後は関八州の将軍家菩提寺の芝の増上寺の秀僧を招いた。
※この「近世の隆盛」の解説は、「悟真寺 (豊橋市)」の解説の一部です。
「近世の隆盛」を含む「悟真寺 (豊橋市)」の記事については、「悟真寺 (豊橋市)」の概要を参照ください。
- 近世の隆盛のページへのリンク