近世の野尻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:24 UTC 版)
「野尻町 (鹿児島市)」の記事における「近世の野尻」の解説
江戸時代には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」では75石余、「郡村高辻帳」では75石余、「三州御治世要覧」では181石余、「旧高旧領取調帳」では184石余であった。 1887年(明治20年)4月2日には「 鹿兒島縣下分郡ノ件」(明治20年勅令第7号)により大隅郡が南北に分割され、野尻村は北大隅郡の所属となった。
※この「近世の野尻」の解説は、「野尻町 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「近世の野尻」を含む「野尻町 (鹿児島市)」の記事については、「野尻町 (鹿児島市)」の概要を参照ください。
- 近世の野尻のページへのリンク