セカンド・カミング
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『セカンド・カミング』 | ||||
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ザ・ストーン・ローゼズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1992年-1994年 | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | ゲフィン | |||
プロデュース | サイモン・ドーソン、ポール・シュローダー | |||
ザ・ストーン・ローゼズ アルバム 年表 | ||||
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『セカンド・カミング』(Second Coming)は、イギリスのロックバンド、ザ・ストーン・ローゼズのセカンド・アルバム。1994年12月5日にゲフィン・レコードから発売され最高で全英4位、全米47位を記録した。このアルバム・リリース後のツアー前にドラマーのレニが脱退、1996年3月21日にはギターのジョン・スクワイアが脱退し、1996年10月にイアン・ブラウンが解散を発表したためストーン・ローゼズのラスト・アルバムとなった。
概要
サイケデリックでポップな曲が多かったファースト・アルバムとは打って変わりジョン・スクワイア主導で制作された本作はレッド・ツェッペリンを思わせるギターリフやギターソロ、ブルージーな音を際立たせたベース、ドラムスが、奏でるブルース色が濃い曲が多く、『Q』誌は「失敗作」という見出しで「『セカンド・カミング』は及第点にすぎない、つまり失望させられた」と2つ星の評価で酷評した。
制作過程
シルバートーンとの契約解除等の裁判の末、ゲフィン・レコードに移籍した後、1992年3月にウェールズ北部に移動しローリング・ストーンズが所有していたモービル・ユニットをエウロイ市のオールド・ブルワリーに停泊させ、ジョン・レッキーを招き完成済みの6曲のレコーディングに取り掛かるが、ファースト・アルバムの成功とそれに伴うプレッシャー、契約を巡る裁判の疲労、イアンとジョンに子供が生まれたことに伴う責任感、そして目的を達成して大金を稼いだという達成感からバンドはやる気を失いかけており、卵を投げ合うふざけ合いや、縄跳びやシャドーボクシングといったエクササイズ、ワインやビールや女性等による遊びでなかなか進まず。デモを収録するのに6週間を費やす。その後、オールド・ブルワリーに戻って1ヶ月スタジオにこもり10曲を完成させ、1993年1月にマンチャスター北部のベリーにあるスクエア・ワン・スタジオに移り6月までリハーサルを行う。6月にロック・フィールド・スタジオに移りアルバム制作を開始するもののジョン・レッキ―が遊びに時間を費やしレコーディングを進めないバンドに見切りをつけプロデューサーを降りてしまう。バンドはエンジニアのポール・シュローダーをプロデューサーに昇格させ、テープ・オペレーターのサイモン・ドーソンをエンジニアに昇進させてレコーディングを続ける。すでに完成した曲のいくつかをボツにし、再びデモテープを収録する作業を行い、再び一からレコーディングするという状態になり、スタジオ代が一日1500ポンドに及びながらもなんとかレコーディングを進めるが、12月にバンドのマネジャーのフィリップ・ホールががんで亡くなり。エンジニアのサイモン・ドーソンが運転中に事故に遭い、さらにはバンドとの力関係によってうまくまとめられないなどの理由からポール・シュローダーがプロデューサーを降りるなどレコーディングは難航を極める。最終的にサイモン・ドーソンがプロデューサーに昇格し1994年の春にアルバムを完成させた。
評価
1994年11月先行シングル「ラブ・スプレッズ」をリリースしチャートの2位となる大ヒットとなる。12月5日アルバムがリリースされ4位を記録する。『メロディ・メイカー』誌は高い評価を与えたものの、『NME』誌は困惑的なレビューをし、『Q』誌は「失敗」という評価をした。
アメリカでは最初の週で2万1953枚を売り上げ47位に食い込むが、クオリティが低いという理由からMTVに「ラブ・スプレッズ」のビデオを流すのを拒否され、新たにビデオを録り直した。1995年2月に「テン・ストーリー・ラヴ・ソング」をシングルカット、この曲のミュージック・ビデオではレニが撮影に来なかった(この時点ではまだ脱退はしていなかった)ため、バンドのローディーがレニのお面を被って出演している。10月30日には「ベキング・ユー」をシングルカット、これがローゼズ解散前のラスト・シングルになった。
発表後の動向
1995年3月にレニが家族との時間を取りたいという理由でバンドを脱退。オーディションを経てロビー・マディックス(Robbie Maddix)が加入してツアーを行うも、1996年3月21日にはジョン・スクワイアが「バンドでギターを弾くのを続けられない」とメンバーに電話で連絡し脱退。アジズ・イブラヒム(Aziz Ibrahim)が加入し、8月25日にレディング・フェスティバルに出演するも徹夜をして音を外し続けるイアンのボーカルや女性ダンサーを従えたステージは受け入れられずに、プレスから酷評される。その後マニが前々から受けていたプライマル・スクリーム移籍の話を飲んで移籍する。これを受け、イアン・ブラウンは10月9日に「この10年間、全世界で一番汚い仕事にかかわって、ここへ来てストーン・ローゼズの終わりを発表できることをうれしく思う。これまで俺たちを愛し、支えてくれた人たちに神の祝福がありますように。特に、俺たちをここまでたどり着かせてくれたマンチェスターの人々に平和を」という解散声明を発表した。
収録曲
- ブレイキング・イントゥ・ヘヴン - "Breaking Into Heaven"
- ドライヴィング・サウス - "Driving South"
- テン・ストーリー・ラヴ・ソング - "Ten Storey Love Song"
- デイブレイク - "Daybreak"
- ユア・スター・ウィル・シャイン - "You Star Will Shine"
- ストレート・トゥ・ザ・マン - "Straight to the Man"
- ベギング・ユー - "Begging You"
- タイトロープ - "Tightrope"
- グット・タイムズ - "Good Times"
- ティアーズ - "Tears"
- ハウ・ドゥ・ユー・スリープ - "How Do You Sleep"
- ラヴ・スプレッズ - "Love Spreads"
- "The Foz"(隠しトラック)
※「ラヴ・スプレッズ」が終わったのち、CDは、13曲目から89(および91から99曲目)が4秒間の無音としてプレスされた。ただし、ヴァウナル盤には「The Foz」も隠しトラックも収録されていない。
作曲はジョン・スクワイア単独作が9曲(「ブレイキング・イントゥ・ヘヴン」「ドライヴィング・サウス」「テン・ストーリー・ラヴ・ソング」「ユア・スター・ウィル・シャイン」「タイトロープ」「グット・タイムズ」「ティアーズ」「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」「ラヴ・スプレッズ」) イアン・ブラウン単独作が1曲(「ストレート・トゥ・ザ・マン」) ジョン・スクワイアとイアン・ブラウンによる共作が1曲(「ベギング・ユー」) メンバー全員によるものが1曲(「デイブレイク」)である。
参加メンバー
- イアン・ブラウン (Ian Brown) - ボーカル、ハーモニカ
- レニ (Reni) - ドラム、パーカッション、バック・ボーカル
- ジョン・スクワイア (John Squire) - ギター、バック・ボーカル(「タイトロープ」のみ)
- マニ (Mani) - ベース
サポートメンバー
- サイモン・ドーソン (Simon Dawson) - キーボード、カスタネット、ジューズ・ハープ
- ニック・ブライン (Nick Brine) - タンバリン(「ラブ・スプレッズ」のみ)
- ブライアン・パグスリー (Brian Pugsley) - プログラミング(「ベキング・ユー」のみ)
プロデューサー、エンジニア
- サイモン・ドーソン (Simon Dawson)
- ポール・シュローダー (Paul Schroeder)
- ジョン・レッキー (John Leckie) ※ブレイキング・イントゥ・ヘヴンのイントロ部分
- ニック・ブライン (Nick Brine) ※アシスタント・エンジニア
出典
- 『セカンド・カミング』1994年オリジナル・ライナーノーツ
- 『ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー誕生と、解散と、復活と。』 ジョン・ロブ著 小林正臣/沢田太陽/藤波真矢訳
注釈
再臨
(セカンド・カミング から転送)
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再臨(さいりん)とは、キリスト教神学で用いられる用語。復活し、天に昇ったとされるイエス・キリストが世界の終わりの日に、キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、世界を義をもってさばくために、再び地上に降りてくることである(『ヨハネの黙示録』を参照のこと)。
世の終わりのしるし
キリストは十字架につけられる少し前に、オリーブ山で弟子たちに説教し、その質問に答えて「世の終わり」のしるしがどのようなものとなるかを語った(マタイによる福音書24:~25:)。それによると、世の終わりをあらわすしるしは、以下のような現象とされる。
- 多くの偽キリストの出現
- 戦争や戦争の噂
- 民族や国どうしの対立
- 飢饉の発生
- 天変地異(地震などの天災)
- 迫害
- 背教・躓き
- 偽預言者・宗教的混乱
- 不法がはびこる・愛が冷える
- 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つ
- 世界宣教の拡大
- 戦争や戦争の噂、天変地異といった項目では先に産みの苦しみをもたらすものであると解説されている
再臨の概略
過去において、異端の集団、過激な人々、熱狂的な信仰者が再臨の時を予測し、社会的な混乱を巻き起こした時があったが、キリストのことばによると、再臨の時は父なる神のみが知る事項で、子なる神であるキリストも御使い(天使)も知るところではない(マタイ24:36)。それゆえ、再臨が近いことは前述のしるしに鑑みて確かではあるが、その時を予言・予測することはできない、また、してはならないとされている。「人の子(キリスト)は思いがけない時に来るのですから」(マタイ24:44)。
またその様態は、人々が認知できる様態でキリストは再び来ると聖書では述べられている。「あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒行伝1:11)。
キリスト教の信仰
キリスト教会には再臨について信仰が存在する。それは、主イエス・キリストが再臨し、世を裁き、神の国を確立するという信仰である(救い主の預言の成就)。キリスト教会の信条であるニカイア・コンスタンティノポリス信条は、「主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。」「光栄を顕して生ける者と死せし者とを審判する為に還た来り、その国、終りなからんを」と告白する。また西方の使徒信条は「主はかしこより来たりて、生ける者と死ねる者を裁きたまわん」と告白する。使徒パウロは、第一コリントの15:23でこれを教えている。ローマ・カトリック、ルーテル派、聖公会、メソジストの典礼は、信仰の神秘を宣言する。「キリストは死なれた。キリストはよみがえられた。キリストは再臨される。」
各教派の解釈
多くのキリスト教の宗派は、このキリストの再臨は、あらゆる国の人々の神による最終的かつ永遠の裁きであると考えている[1]。この概念は、すべての正典の福音書、特にマタイの福音書に見られる。
西方教会
カトリック教会
キリストが世の終わりに最後の審判を行うために再臨するということは、ローマ・カトリック教会の伝統的な見解である。その時は、神のみが知っている[2]。再臨は神の完全な統治と、神の国の完成をもたらす[3]。キリストの再臨における最後の審判では、「正しい者」と「正しくない者」に「至福の命」か「永遠の罰」かの判決が宣告される[2]。
プロテスタント
福音派
福音派の諸教会・教派では大体、再臨の結果として、現在の自然、社会などあらゆる秩序が壊滅的な影響を受け(ペトロの手紙二3:10)、創造主である神によって新しい秩序が世界に導入される、という聖書の記述をそのまま信じている。「新しい天、新しい地」(黙示録21:1)はその新しい秩序の表現であるとする。
リベラル
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キリストの再臨は、祝福に満ちた教会の望みであり、福音の壮大な頂点である。救い主は、文字通り、からだをもって世界中の人々に目に見える姿で来臨される。キリストが来臨されるとき、死んでいる義人はよみがえらされ、生きている義人とともに栄化され、天に上げられる。しかし不義なものたちは死ぬ。預言がほぼ完全に成就してきたことは、現在の世界の状況とあいまってキリストの来臨が切迫していることを示している。この出来事がいつ起こるかは明らかにされていない。それゆえわれわれは常に用意をしているように勧められている。
東方教会
正教会
再臨は「稲妻の閃光」のような突然の出来事であるというのは、初期の教会から保たれている正教会の伝統的な見解である。イエスは地球上で宣教や説教に時間を費やすことなく、人類を裁くために来るという一般的な見解を持っている。また、反キリストの宣教が再臨の直前に行われることを認めている[4] 正教会は、火の川の再臨[5]と偽の連合[6]に対する元の教会の立場を説明し、キリストは地球上で千年間支配すると主張する人々は「キリストではなく反キリストを待っている。」と述べている。イエスがこの地上に王として帰るという考えは、教会にとって異端の概念であり、「メシアを地上の王にしたかったユダヤ人の期待」と同等である。
東方諸教会
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各宗派の解釈
自由主義神学
自由主義神学の終末論の特徴として、進歩史観、未来的な再臨の否定、万人救済主義がある。社会的福音は進化論の影響を受け、科学技術によってユートピアが実現するとする[7][要ページ番号]。アルブレヒト・リッチュルは、特別な人間イエスのように、人間も進化できると主張した[8]。またリッチェルは社会は進化によって前進するとした[9]。C・H・ドッドは、終末が未来に起こることではなく、すでに実現したとする[9]。ルドルフ・ブルトマンは終末が実存的な出来事であるとし、未来に起こるとは考えない[10]。ユルゲン・モルトマンは、永遠の刑罰を否定し、終末においてすべての人間が救われるとする新普遍救済主義を唱える[11][要ページ番号][12][要ページ番号]。
関連項目
- 十人の乙女のたとえ - 再臨に関するたとえ話
- ヨハネの黙示録
1-7「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」 - ヨハネの福音書
14-3「私が行って、あなた方に場所を備えたら、また来て、あなた方を私のもとに迎えます。」
脚注
- ^ Catholic Encyclopedia: General Judgment
- ^ a b Catechism of the Catholic Church 1038-1041
- ^ Catechism of the Catholic Church 675-677,680
- ^ “Jesus is Coming Soon”. Orthodoxphotos.com. 2009年11月21日閲覧。
- ^ “THE RIVER OF FIRE”. Saint Nectarios Press and Book Center. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “Against False Union”. Russian Orthodox Autonomous Church (ROAC) of America. 2020年3月8日閲覧。
- ^ 岡山英雄『子羊の王国』いのちのことば社
- ^ アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』p.149教文館
- ^ a b 『キリスト教神学入門』p.762
- ^ 『キリスト教神学入門』p.764
- ^ ユルゲン・モルトマン『神の到来-キリスト教的終末論』新教出版社
- ^ 『子羊の王国』
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