スターダム:ハリウッドでの活躍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スターダム:ハリウッドでの活躍の意味・解説 

スターダム:ハリウッドでの活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)

青木鶴子」の記事における「スターダム:ハリウッドでの活躍」の解説

1915年洲は『チート』(1915年)で一躍ハリウッドトップスター地位確立し、マチネー・アイドル(英語版)として白人女性から高い人気獲得した夫人となった鶴子は、同年に『呪の焔(英語版)』に主演したあとは洲を支える側に回り仕事のうえでも私生活でも洲の脇役徹し広告などでも「早川雪洲夫人Mrs. Sessue Hayakawa)」と記されることが多くなった。洲は1916年から1918年までの間に、ジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニー(パラマウント・ピクチャーズ前身)との契約15本以上の作品主演したが、鶴子そのうち異郷の人(英語版)』『オナラブル・フレンド(英語版)』(1916年)など数本洲と共演したハリウッド社会中でも鶴子夫妻豪奢な暮らしぶり別格だった。スターとして絶頂期迎えていた1917年には、夫妻ハリウッド一角にある「グレンギャリ城」と呼ばれる大邸宅で暮らし始めた。グレンギャリ城はスコットランド城館のような4階建ての建物で、部屋30以上もあり、7人の召し使い雇っていた。夫妻少なくとも週に1度名士たちを集めて、グレンギャリ城の大広間盛大なパーティー開いた。グレンギャリ城にはチャールズ・チャップリンも朝、撮影所への行きがけコーヒーを飲むために立ち寄り夫妻チャップリン近所友人となったルドルフ・ヴァレンティノもグレンギャリ城に遊び来て鶴子イタリア料理教えたという。 洲・鶴子夫妻家庭生活は、たびたび映画雑誌など報じられ、まさに一挙手一投足注目を浴びるスター夫婦となった例えば、『ピクチャー・プレイ(英語版)』誌の1917年3月号には、夫妻ダンスをしたり、愛犬ブルドッグ散歩に出かけたり着物姿鶴子が夫にお茶入れてあげる姿などの写真掲載された。1918年夫妻スペインかぜ感染した時も、映画雑誌記事掲載された。また、夫妻映画雑誌で、貞淑なとしての鶴子イメージと、頼りがいある男らしい洲というイメージで、理想的なカップルとしてファン宣伝された。『フォトプレイ英語版)』誌の1918年11月号では「どうやって夫をつかまえておくか 早川夫妻のオリエンタル・レッスン全四章」という記事掲載されその中で鶴子アメリカ人読者に対して「夫が朝食のとき新聞読んでいるときは黙ってましょう」などとアドバイスをしている。 当時アメリカでは西海岸中心に排日運動高まりつつあり、1913年にはカリフォルニア州日本人土地所有禁止する外国人土地法制定されるなど、日系人いわれのない人種差別受けていた。そんな時代活躍した鶴子洲は、他のハリウッド活躍した日本人俳優とともに人種差別的な内容白人たちの反日感情助長しかねない排日映画」に出演したとして日系人激しく非難された。鶴子単独主演したイク呪い英語版)』(1918年)も人種差別的な内容排日映画として問題上がり、『チート』と並ぶ排日映画の代表と見なされた1917年9月には排日映画防止する目的のもと「日本人活動写真俳優組合」が結成され洲が理事長に就き鶴子会員名を連ねた1918年4月洲は自身映画会社「ハワース・ピクチャーズ・コーポレーション(英語版)」(1920年に「ハヤカワ・フィーチャー・プレイ・カンパニー」に改名)を設立しスタープロデューサーとして4年間に22本の映画製作したが、鶴子もこの会社所属しいくつかの作品洲と共演した鶴子週給1500ドルで、年収は8ドル弱だった。ハワース・ピクチャーズ時代鶴子代表作は、アーネスト・フェノロサ夫人メアリー・M・フェノロサ英語版)の長編小説原作の『蛟龍を描く人(英語版)』(1919年)であり、演じ天才画家のために自らを犠牲にする妻を演じた鳥海美朗によると、この作品は「本当日本アメリカ人たちに示したい」という洲と鶴子意気込み凝縮され作品であるといい、鶴子演技について日本精神文化魅力的、かつ神秘的に表現した」と評している。 1919年7月鶴子ユニバーサル・ピクチャーズ3本映画主演する契約結んだ。『ロサンゼルス・タイムズ』はこれを歓迎するように報じ鶴子支払われる給料は「映画業界で最も高給のひとつ」であると記している。契約書には「(鶴子出演作品では)日本人役はすべて日本人演じ装飾品もすべて鶴子指示吟味される」ことが明記されていたが、同社3本目の主演作神々呼吸英語版)』(1920年)では日本セットデザイン監督する役割担当した。この作品日露戦争時代が舞台悲劇で、鶴子は国への忠誠と夫への貞節尽くそうと自らを犠牲にする武家の娘を演じた鶴子はこの作品で、映画会社による宣伝上の話題作りのために、1921年嫉妬によるヒステリーから服毒自殺図ったとする虚偽新聞報道流された。

※この「スターダム:ハリウッドでの活躍」の解説は、「青木鶴子」の解説の一部です。
「スターダム:ハリウッドでの活躍」を含む「青木鶴子」の記事については、「青木鶴子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スターダム:ハリウッドでの活躍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スターダム:ハリウッドでの活躍」の関連用語

スターダム:ハリウッドでの活躍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スターダム:ハリウッドでの活躍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの青木鶴子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS