ジョディ・フォスターへのストーカー行為
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:53 UTC 版)
「ジョン・ヒンクリー」の記事における「ジョディ・フォスターへのストーカー行為」の解説
映画『タクシードライバー』を観たヒンクリーは、同映画の中で売春婦役を演じたジョディ・フォスターに一目惚れし、自分の「運命の女」だと思い、偏執的な恋心を抱くようになった。だがジョディが映画スターの道を歩んでいるのに対し、ジョンは人生に行き詰まっており、2人には何の縁も無く、近づくことも叶わなかった。ヒンクリーができることといえば精々自分の部屋の壁にフォスターの写真・ブロマイド類を多数貼り付け、それにキスをすることくらいであった。 その後もずっとフォスターに対して強い想いを抱き続けたヒンクリーは、フォスターがイェール大学に入学したことを知ると、それを利用してフォスターに接近する方法を探った。しかしイェール大学は全米ランキング4位に位置する名門大学・難関大学であり、基本的に成績優秀な学生しか入学できない。成績も悪く落ちこぼれたヒンクリーにとっては、とてもではないが同大学に入学することなどできなかった。そこで彼が思いついたのは同大学の聴講生になることであった。聴講生としてならば(正規の大学の単位は出ないが)特に難しい試験・面接など経なくても簡単な手続きで同大学の教室に入り、講義を聴くことができるのである。ヒンクリーはコネチカット州ニューヘイブンに引っ越し、同大学でフォスターが選択・出席している講座・教室を調べ、それに潜り込むようになった。だが大教室などでフォスターの姿を見つけても、ヒンクリーは声をかけることもできなかった。教室にいた男子学生たちの中には、ごく自然にフォスターに声をかけ普通に会話をする者たちもいたが、ヒンクリーにはそれもできなかったのである。 ヒンクリーはフォスターをつけまわし、フォスターのアパートを見つけた。また、彼女の情報を執拗に調べまくり彼女の電話番号も知った。そして、彼女の自宅のドアの下に自作の詩を書いたメッセージを挟み込んだり、繰り返し電話をかけるなど、ストーキング行為を繰り返した。ヒンクリーの気持ちとしては、自分は映画の主人公のようにフォスターを救う騎士になったつもりであった。だが、ヒンクリー自身が残した電話の会話の録音には、(第三者が聞けば)フォスターからはっきりと拒絶されていると判るやりとりがあったのである。 後の捜査や裁判で提出された証拠・証言類によって判明したことによると、ヒンクリーが電話でフォスターに接触するのに成功したのは2度でしかない。フォスターはヒンクリーからの最初の電話を受けた時は、(まともな)ファンの一人かも知れないと思い、とりあえずあまりきつく拒絶するのは止めたという。2度目の電話ではフォスターははっきりときつい口調で、「もう電話をかけてこないで」と伝えた。(そのやり取りは証拠として提出された録音に残っている。)それ以降、ヒンクリーは何度フォスターの番号をダイヤルしてもつながらなくなった。というのは、フォスターが自分の身辺で起きているいくつもの兆候から異常を感じ取り、誰からの電話にも一切出なくなったのである。 フォスターとの接触に失敗したヒンクリーは何とかしてフォスターの注意を引くために、飛行機をハイジャックして彼女の前で自殺するという計画を考えたが、それは断念した。ヒンクリーは「自分が大統領暗殺という大事をやり遂げれば、フォスターが自分を認めてくれる」との妄想にもとづいて、大統領の暗殺を企て始めた。ヒンクリーが大統領暗殺を考え始めた当時はカーター大統領の在任中で、カーター大統領を州から州へと追いかけたが、警備が厳重なので簡単には狙撃を実行できず、テネシー州ナッシュビルで重火器不法所持の罪で逮捕された。無一文になった彼は家に帰り、神経衰弱と抗うつ薬の飲み過ぎを案じた母親によって地元の精神科医に連れていかれたが、改善しなかった。この頃連邦捜査局に「恋愛問題が理由でフォスターが何者かに誘拐される恐れがある」と匿名の手紙を出している。 1980年にジョン・レノンが射殺されると、ビートルズの大ファンだったヒンクリーはすぐにニューヨークに飛び、セントラル・パークの追悼集会に参加した。帰郷後、射殺犯マーク・チャップマンが使ったのと同じ銃を購入した。 1981年になると、再びフォスターに手紙を届けにニューヘブンに向かったあと、フォスターの代わりに彼が“救える”若き売春婦を求めてニューヨークに滞在した。レノンの命日には事件現場で自殺しようとダコタ・ハウス前に行ったが、果たせなかった。実家に戻ると、自立するよう父親から言われ、多少の金を渡され家を出された。再び大統領の暗殺を企て、新たに大統領に就任したロナルド・レーガンを狙撃することを計画し始めた。 ヒンクリーはレーガン狙撃事件の直前にフォスターに宛てた手紙を書いた。 過去7ヶ月にわたって私はあなたに対して多くの詩、手紙、愛のメッセージを送りました。そうすればあなたは私に興味を持ってくれるかも知れない、という望みは虚しいものとなりました。私たちは2度電話で話したけれど、私はあなたに厚かましく近づいて自己紹介することはありませんでした...。 私が今この計画を進めるのは、もうこれ以上、あなたに憶えてもらうことを待ってはいられないからです。-ジョン・ヒンクリー・ジュニア
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