コンピュータの歴史概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:03 UTC 版)
「計算機の歴史」の記事における「コンピュータの歴史概略」の解説
コンピュータの歴史において一体何が行われてきたのかについて、もしもほんの一行ほどで要約するならば、計算機の高機能化、高速化、低価格化、大容量化が行われてきたのだ、ということは言えるであろう。 計算機械の歴史とは、まず第一にコンピュータアーキテクチャ(入出力、データ格納、演算や制御を行うシステムの構成)の歴史である。また、それはシステムの各装置を構成する電子部品や機械の歴史でもある。また、ある機種から次の機種への更新の際に、それが高速化や記憶容量の増大である場合もあれば、同じ能力でコストや大きさが小さくなったという場合もある(両方、という場合もある)。 自動計算機が開発される以前、ほとんどの計算は人間が手で行っていた。人間の計算を補助する器具は「計算器」、機械は「計算機」と呼ばれる。計算器を使って計算することを生業とする人間を計算手(英語でコンピュータ)などと呼んだ。計算手(19世紀末に女性が採用されるようになり、第二次大戦前には女性が多数採用された)が大勢並んで大きな部屋で計算器または計算機を使って計算を行っている写真がいくつも残っている。例えば、航空機設計に必要な航空力学的計算などをそのようにして行った。 ENIACなど、1950年頃のコンピュータのいくつかに見られる「A」は「自動計算機」の「自動」の意味である。「自動でない計算機」の例としては、そろばんや電卓をイメージすればよい。後者では四則演算までは機械がやってくれるが、条件判断をともなう繰り返しが必要な複雑な計算は人間の操作として行う必要がある。ここで、それまでの計算機と「コンピュータ」の大きく異なる点は、条件判断を含むプログラムを実行できることと、そのプログラムを内蔵できる、ある程度大きな記憶容量を持つという点である。コンピュータは、数値計算の自動化を可能にし、また数値計算に限られない一般的な様々な記号操作の自動化を可能にした。 コンピュータは単に計算用プラットフォームというだけでなく、製造工程の自動化、電気通信、装置制御、娯楽、教育などに使われてきた。様々な分野からの要求で新たなハードウェアが発展してきた。例えば、より直感的で自然なユーザインタフェースのためにタッチパネルが考案された。 紙に数字を書いて計算するのは別として、最初の計算補助器具は四則演算の対象となる数値を人間の手で設定し、手で操作して演算を行う簡単な器具だった。比較的最近の洗練された例として計算尺がある。計算尺では対数尺上の目盛りで数値を表し、カーソル線を合わせて滑尺を滑らせ演算を行う。数値はこのように連続な「アナログ」値として表すことができ、数値に対応して電圧などの何らかの物理量を設定することで表すことがある。ヴァネヴァー・ブッシュが第二次世界大戦前に開発した微分解析機などは、そのようなアナログ計算機の一種である。また数値は数字の並び(ディジタル)という形でも表現でき、機械によって自動処理できる。前者は物理量に対応させているためにダイナミックレンジが物理に制限されるのに対し、後者は数で表現しているため必要なだけ桁数を増やすことで精度の要求に対応できる。 アナログとデジタルの機械式計算技法はどちらも発展していき、多くの実用的計算機が生まれた。電気的技法は当初機械式計算装置の動力源として使われ、後に数値を直接に電気で表現することで、計算機の速度と精度が急激に改善されていった。数値を離散的な二進または十進の数字の並びで電気的に表し、継電器による組み合わせ回路を使って演算することができる。電子工学により、数値を電圧や電流値で表し、それらを増幅回路で操作することもできるようになった。 電子工学の発展によって、機械式や電気機械式の従来の計算機よりも高速な電子式計算機が可能となった。真空管はその後半導体を使ったトランジスタに置き換えられ、さらにすぐさま集積回路へと高度化した。集積回路はいくつかの半導体技術の世代交代と、絶え間ない指数的な微細化の向上で、手指の爪ほどの大きさの半導体チップ上に数百万個の電子的な論理素子が作られるようになった。これにより、高速かつ低価格のディジタル・コンピュータが広く普及することになった。
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