キャノン・フィルムズの興亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 05:27 UTC 版)
「チャック・ノリス」の記事における「キャノン・フィルムズの興亡」の解説
『地獄のヒーロー』シリーズや『地獄のコマンド』、『デルタ・フォース』がもたらした莫大な収益(255万ドルで製作された『地獄のヒーロー』は米国内の劇場だけで2281万2500ドルの興行収入を上げ、更に当時、国際的に拡大したビデオマーケットの爆発的な高収益に加え、欧州や南米でも大ヒットを記録)は独立系スタジオ、キャノン・フィルムズを株式上場企業へと導き、準メジャーの域にまで会社を拡大させることに繋がった。ドル箱であるチャック・ノリス主演映画を他社に渡したくなかったキャノンは、1986年『デルタ・フォース』の公開後にチャック・ノリスと10年契約という前例のない長期契約を結んでいる(CNN『ショウビズトゥデイ』はキャノンの上場と合わせ、それを齎したチャック・ノリスのキャノンへの貢献と、この異例の契約を驚きをもって報じた)。チャックはこのキャノンからの申し出を快諾し契約にサインをする。これはアメリカン・シネマ時代、映画会社から受けた仕打ちとは正反対のキャノンの対応を意気に感じたためである。 そのアメリカン・シネマは最も規模の小さかった独立系スタジオであったが、『暗黒殺人指令』から『オクタゴン』までの成功によって上場も遂げ、当時ハリウッドの独立系のなかで、最も大きいスタジオにまで成長する。しかし経営陣の判断は「もう空手映画の時代は終わった」と、チャック・ノリス主演作の打ち切りを決定した。会社の成長を、それに関わった人間として誇りに想っていた彼は、そのビジネスの冷酷さに打ちひしがれた。 ちなみに、チャック・ノリスの主演作から手を引いたアメリカン・シネマのその後は、キャノンの大躍進を尻目に、製作した映画全てが興行的失敗を重ねて倒産。 チャック・ノリスと長期契約を交わしたことで、アメリカン・シネマの轍は踏まないであろうと思われたキャノン・フィルムズであったが、アメリカン・シネマとは、また別な意味での大きな失態を演じ破産に追い込まれることになる。実際に劇場に足を運びチケット代金を支払う多くの観客から支持を受ける勧善懲悪のアクション映画も、一部の例外的作品を除き大概は、劇場試写に蔓延るアート畑の批評家たちからの酷評の的になるのが常であった。 そこでキャノンのメナハム・ゴーランは、そんな批評家連中をねじ伏せるべく、カンヌのパルム・ドールを本気で狙い文芸映画に着手。アート・ムービーに巨額の投資をしてしまうのである。そのような経緯で贅の限りを尽くして完成した一編が『ゴダールのリア王』(1987年)である。監督ジャン=リュック・ゴダールの手配で、ウディ・アレン、レオス・カラックス、ピーター・セラーズ、ジュリー・デルピー、フレディ・ビュアシュなど、アート系作品のスタッフ、キャスト、批評家ら錚々たる顔ぶれが総動員された。 批評はゴーランの目論み通り、「シェイクスピアを1980年代的に脱構築した芸術としての“映画”の再発明」、「重層的にインサートされた“イメージ”の数々の美しい映像」、「芸術の創造と享受の混在するメタフィクショナル」など、有らん限りの美辞麗句がアート系の批評家によって並べ立てられるが、その「ゴダールの傑作」の興行収入は米国内でたったの6万2,000ドルという、目もあてられないほどの興行的失敗作となる(ビデオマーケットでも不振を極めたうえに、カナダ以外では劇場公開さえされず)。このようなアート・ムービーの無残な興行的失敗が痛手となってキャノンは深刻な財務悪化状態に陥り、負の余波は以後の他の作品にも一様に影響。予算の急激な縮小を迫られた結果、観客を裏切る小粒な映画ばかりとなり、作品からはキャノンの持ち味であった“ケレンミ”が失われた。こうなるともう、それはただの“ハッタリ”に過ぎず、以前の勢いを取り戻すことのないまま1990年代初頭“キャノン帝国”は、その歴史に幕を降ろした。
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