キャノンボール・アダレイのニューヨーク・デビュー
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「カフェ・ボヘミア」の記事における「キャノンボール・アダレイのニューヨーク・デビュー」の解説
1955年6月19日、ジュリアンとナットのアダレイ兄弟は、ジュリアンがニューヨーク大学で大学院修士課程の勉強をするために、揃ってニューヨークに到着した。到着した初日の夜、二人はカフェ・ボヘミアへ赴き、当時クラブのハウス・バンドだったオスカー・ペティフォードのバンドを聴いたが、このグループのサクソフォーン奏者だったジェローム・リチャードソン(英語版)は、その夜はレコーディング・セッションがあって不在だった。ペティフォードは、客の中にいたチャーリー・ラウズに、代わりに入ってもらえないかと頼んだが、あいにくラウズはサクソフォーンを持参していなかった。ペティフォードは、客の中にいたアダレイがサクソフォーンのケースを持っていることに気づき、ラウズに、その男から楽器を借りられないかきいてみてくれと頼んだが、ラウズはその通りにはせず、その見知らぬ男キャノンバールに、代わりに入ってグループと一緒に演奏してみないか、と声をかけた。リーダーのペティフォードは、渋々これに従い、アダレイに演奏させ、一夜にしてアダレイはニューヨークのジャズ・シーンで評判になった。6月21日には、正式な出演者として初めてカフェ・ボヘミアのステージに立ち、6月28日にはケニー・クラークのグループとレコーディングをおこない、7月14日には最初のリーダー・アルバムを吹き込んだのである。1957年10月、アダレイはマイルス・デイヴィス・セクステットの一員になった。
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