ガンバ大阪(第2次)時代
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「宇佐美貴史」の記事における「ガンバ大阪(第2次)時代」の解説
2013年6月18日より古巣のG大阪に復帰が決定。復帰初戦となった7月20日のJ2第25節・神戸戦で、いきなり2得点を挙げる活躍で首位攻防戦の勝利に貢献。以後同じくこの年に加入したブラジル人FWロチャと2トップを組みゴールを量産し、8月には5試合5得点の活躍を見せ、月間MVPを受賞した。遠藤保仁とツートップを組んだシーズン終盤もペースを落とすことなく得点を重ね、J2第38節・徳島戦では、プロ入り初の4得点のハットトリックを達成。J2優勝に王手をかけた第41節・山形戦でも2得点の活躍を見せるなど、11月は4試合4得点をあげ2度目の月間MVPを受賞。最終的にリーグ全42試合の半分以下の18試合で試合数を上回る19得点を記録。途中加入ながら得点ランク2位につける得点力を発揮し、G大阪のJ2優勝と1年でJ1復帰に貢献した。 2014年、ポジション登録をFWに変更。開幕前の2月中旬、練習中に左足を負傷し、左腓骨筋腱脱臼の全治8週間と診断されプロ入り初の長期離脱となりシーズン前半戦の欠場を余儀なくされた。4月26日のJ1第9節・川崎戦で復帰し、初先発となったJ1第12節・徳島戦で復帰後初得点を決めた。自身が離脱中、チームは一時期降格圏内に沈むほど低迷していたが、2014 FIFAワールドカップによる中断明け以降は新加入のブラジル人FWパトリックとの2トップでコンスタントに得点を重ね、後半戦躍進の中心的存在となり9月には月間MVPを受賞。ナビスコカップでは決勝までの6試合でチーム最多の5得点を決めG大阪では安田理大以来となるナビスコカップニューヒーロー賞を受賞。決勝の広島戦では、パトリックの同点ゴールをアシストしG大阪の7年ぶり、自身にとっては初の優勝に貢献した。10月以降、好調なチームとは対照的に相手からの徹底マークにあったことで、公式戦8試合連続無得点と不振に陥ったが、シーズン終盤は復調し天皇杯準決勝・清水戦、第33節・神戸戦ではそれぞれ2得点をあげ、天皇杯決勝山形戦では2ゴール1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。最終的に2014年の公式戦全得点は21点を記録(J1・10得点、ナビスコカップ・5得点、天皇杯・6得点)。これはJ1全体でトップの数字であり、天皇杯では永井謙佑と並び大会得点王となった。さらに、Jリーグベストイレブンを初受賞するなど、G大阪のリーグ優勝さらには国内三冠の立役者となる1年であった。 2015年、国内でのシーズン開幕戦ゼロックススーパーカップでは決勝ゴールを決め、ガンバの8年ぶりとなるスーパーカップ制覇に貢献した。リーグ戦は開幕戦から好調をキープして得点をかさね、第3節甲府戦から第8節の松本戦にかけてクラブタイ記録となる6試合連続ゴールを決め、4月の月間MVPを受賞した。6月27日の1stステージ最終節・山形戦では後半5分から12分間でハットトリックを達成し、これが自身にとってJ1初のハットトリックとなった1stステージは17試合13得点で得点ランキングのトップに立ったが、後半戦は日本代表との掛け持ちで大きくコンディションを落としたことで2ndステージ17試合6得点と得点ペースが激減。リーグ戦計19得点はJ1での自己最多記録となったが目標としていた20得点には届かず得点王を逃し、CSでも3試合無得点と結果を出せなかった。中断空けの天皇杯準々決勝鳥栖戦では公式戦約3カ月ぶりとなる得点を含む2得点の活躍で、万博記念競技場最後の試合を勝利で飾った続く準決勝ではCSで敗れた広島から2得点を挙げる活躍でリーグでの雪辱を果たした。2015年の公式戦出場数(代表含む)はJ1全選手中最多の66試合にのぼった
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ガンバ大阪(第3次)時代
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2019年6月24日、完全移籍で3年ぶりにガンバ大阪へ復帰する事が発表された。ドイツでの再挑戦について「2度目もダメだったというのが、清々しいぐらい自分の中である」と移籍会見で述べた。背番号はプロ一年目と同様の33番となった。Jリーグ復帰初戦となったJ1第20節・名古屋戦で1点ビハインドの状況から試合終了間際に同点弾となるゴールを記録すると、第30節・湘南戦から第32節・仙台戦にかけて3試合連続ゴールを記録するなど、14試合の出場で7得点をマークしチームの残留に貢献した。 2022年より、副キャプテンに就任。3月6日、川崎戦で負傷し、その後右アキレス腱断裂と診断され、長期離脱を余儀なくされる。
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