カラコル【Caracol】
読み方:からこる
中央アメリカ、ベリーズ南西部にあるマヤ文明の遺跡。サンイグナシオの南約40キロメートルに位置する。古典期に栄えた都市国家の遺構で、同国で最も大きい高さ43メートルのピラミッドが残っている。
カラコル【Karakol/Каракол】
カラコル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 05:36 UTC 版)
カラコル(Caracol)は、ベリーズ南部カヨ郡、マヤ山地、モパン川の上流に位置するマヤ文明の都市国家であった。
その「首都」(現カラコルの遺跡)は、オシュウィツア(Oxhuitza「3つの丘の水」)と呼ばれていた。330年頃から石碑に王朝の歴史が刻まれていたことが判明している。王朝の創始者はテ・カブ・チャク。長らくカラコルはティカル(Tikal)に従属する国家だったが、553年にヤハゥ・テ・キニチ(太陽神の王)二世(「水の王(Lord Water)」とも)が即位すると、カンペチェ州にあるカラクムル(Calakmul)と同盟し、562年の「星の戦争」でティカルを攻撃してこれに勝利、自立を果たす。626年にはナランホを征服するなど繁栄するが、680年になると逆にナランホから攻撃され敗北。破壊と掠奪を受けた末に衰退し滅亡した。
1930年代に遺跡が発見され、1985年以降、セントラルフロリダ大学のチェイス(Chase)夫妻らによって大規模な調査が行われている[1]。

脚注
- ^ ダグラス・プレストン『猿神のロスト・シティ 地上最後の秘境に眠る謎の文明を探せ』NHK出版、2017年、79頁。ISBN 978-4-14-081716-2。
外部リンク
座標: 北緯16度45分50.14秒 西経89度7分3.33秒 / 北緯16.7639278度 西経89.1175917度
カラコル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:41 UTC 版)
カラコル人は19世紀初めから北部ホンジュラス、特にベイ諸島で見られる英語を話す人々である。彼らはヨーロッパと英領のアフロカリビアンにその出自を持っている。カラコルはスペイン語で「貝」の意味で、この地域の独特な環境や海洋文化と結びついている。文化的文脈では「カラコル」はイスラス・デ・ラ・バイア諸島で生まれた全ての人々、及び彼らの祖先を示すのに用いられる。他方で「カラコル」は彼らからすると攻撃的な単語として認識されている。この単語はホンジュラス本土に住むスペイン語を話す人々のみによって用いられており、本土の人々は彼らに対抗意識を持っている。両者は文化的にも言語的にも信条的、アイデンティティー的にも異なるためにこのようになっている。この島の人々は人種や宗教、肌色が異なろうとも「アイランダーズ」という呼び名を好んでいる。ベイ諸島はロアタン島、ウティラ島、グアナハ島の3つの島が主要な島嶼であるが、ホッグ諸島やその他の小島に住む人々もまた「アイランダーズ」と呼ばれるのを好んでいる。 人種に関係なく英語が第一言語で、スペイン語は第二言語である。なおホンジュラス本土はスペイン語圏である。これは長い間イギリスの植民地であり、イギリスの植民地からの流入者を祖先に持つ者が多い事が理由である。本土からの移住者がその後増えた事によってスペイン語の利用も増えている。しかし、観光やクルージング産業では専ら英語が用いられており、未だに英語が第一言語となっている。時が経つにつれて彼らの話す英語も変容している。最も特徴的なのは形態論的な部分であるが、発音やアクセントも独特であり、統語法や単語にも若干の特性が見える。カリブ海に浮かぶ他の旧英領植民地の英語と比較すると、様々な古英語的な単語や熟語が地域の各地で用いられている。ただし、お互いの意思疎通に問題はない。この地域の英語を身に着けることはできるが、アクセントは北アメリカやヨーロッパの各地からやってきた人々によって形成されており、非常に独特な物になっている。
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