オタク文化外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:06 UTC 版)
東は、オタク文化外でも、1990年代に社会学者の宮台真司がフィールドワーク的な研究の対象としたブルセラ少女・援交少女たちの行動様式も物語消費からデータベース消費への移行の道を辿っているとしている。宮台真司がストリート系の若者に見出した「共振的(シンクロナル)コミュニケーション」と、オタクの動物化現象の類似性も指摘されている。 ヒップホップ・テクノポップなどの音楽分野におけるサンプリングやリミックスといった技法はデータベース消費モデルと関連付けて論じられることがある。DJは原曲を構成する音楽的要素を素材として収集・再構成して二次的な創作を行うが、これはオタクが行う同人誌発行などの二次創作と概ね同型と考えられ、萌え要素という視覚的な記号に反応するオタクと単調な電子音の反復に快感を覚えるテクノ愛好家が「アニメ絵目」と「テクノ耳」という形で対比されることもある。ただし、音楽論・メディア論を専門とする増田聡は、これらの文化のデータベース的な消費には2つの面での差異が存在すると指摘している。まず1点目として、オタク文化においては前述のキャラクターの自律性が二次創作活動の前提として存在するが、DJ文化においてキャラクターに対応する音楽要素が原曲という環境から遊離して自律しそれ単体で消費されるということはまずない。2点目として、DJ文化において音楽要素の再構成は表層的なレベル(データの機械的コピー)で行われるが、オタク文化における二次創作活動はしばしば元の作品では必ずしも設定されていなかったキャラクターの性格設定などが消費者の主観によって新たに「創造」されているという相違が挙げられる。このほか、1990年代のDJ文化では楽曲の時代性を考慮して選曲が行われるなど時間的な文脈依存性の高い引用という側面があるため、東浩紀がオタク文化を中心に論じたデータベース消費とは一線を画するという見方もある。 絵本作家の相原博之は、データベース消費の例としてiPod・ブログ・セレクトショップの3つを挙げている。アルバムに収録された状態では楽曲はそのアルバムの世界観という統一性の中に存在しているが、個別にiPodにダウンロードされ再編集されて鑑賞されるときにはその統一性(大きな物語)は崩れることになる。同様に、ブログにおいては従来のウェブサイトでみられる階層構造という大きな物語が欠如したフラットな構造となっており、セレクトショップではブランドという統一性(大きな物語)を無視して商品が陳列・販売されていると考えられる。インターネット上での事例としては、ブログ以外にも電子掲示板2ちゃんねるで行われるような「ネタ的コミュニケーション」 も、コピペ・アスキーアートなどをデータベースの構成要素とみなすという意味でデータベース消費と類似した現象であるといわれる。 メディア論や社会学を専門とする岡井崇之は、東浩紀の議論を参照して、プロレスファンは物語消費的だが総合格闘技ファンはデータベース消費的であるという対比を行っている。 日本の若者に顕著に見られるような自らを「キャラ化」するように振る舞いについても、データベース消費論と同様にポップカルチャーにおける登場キャラクターの類型が参照されているという指摘がある。 日本国外の文化の例では、米国のテレビドラマシリーズ『glee/グリー』においてプロのパフォーマーが過去のアメリカのスターたちの名曲をカバーするといった演出がデータベース消費的であると指摘されることがある。このケースでは、キャラクターではなく楽曲が消費の対象となっている部分が日本とアメリカの違いであるとされる。東浩紀自身は、ハリウッド映画において、視覚効果が高度に発達する反面、ストーリー自体は古典的な構造のパターンを反復している現状を日本国外でのデータベース化の例として挙げている。
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