インドとアップル
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「マル・エヴァンズ」の記事における「インドとアップル」の解説
1968年2月、ビートルズはマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの元でのセミナーに参加するためインドへ出発した (ビートルズはマハリシと前年の8月24日に、ロンドンのヒルトンホテルで既に初対面を果たしていた)。エヴァンズはセミナー会場の下見のため数日前に現地入りしていたが、飛行機から降りるとすぐにリンゴ・スターが、ワクチン接種跡の痛みを訴え、エヴァンズに医者の診察を手配するよう依頼した。エヴァンズは「地元の病院に着くと、彼[スター]をすぐに診てもらおうとしたが、インド人の医者にそっけなく「彼の症状は特別ではない、自分の順番を待て」と言われた。だから僕達はそこを出て優先的に診てくれる開業医を探し、彼が「いいでしょう」というまで10ルピーも払った。」と記している。また、エヴァンズは1968年2月17日の日記に、「マスコミが門を本当に蹴り倒してアシュラム(ヒンドゥー教の寺院)に入って来て、アシュラムのインド人が途中で僕を呼んだのだが、インド人記者は僕に「いまいましい外国人に私を止めることはできない、ここは私の国だ」と言った。それで僕は落ち着いた。」とも記している。日記にはエヴァンズがインド滞在を楽しんでいた様子が覗える。「もう1週間も経ったなんて信じられない。人は瞑想を通じて心の安定、平穏を得ると、時間の流れが飛ぶように速く感じるのではないか。」また、ベイクドビーンズの缶詰で一杯にしたスーツケースを持ち込んだリンゴ・スターとは違い、エヴァンズはインドの食べ物も気に入った。インドからエヴァンズとジョージ・ハリスンはニューヨークに飛び、ボブ・ディランや、ウッドストック・フェスティバルのリハーサルをしていたザ・バンドを訪問した。 1968年にアップル・コアが設立されると、エヴァンズはロードマネージャーから、パーソナル・アシスタントに昇進したが、給与は週38ポンドのままだった。エヴァンズは日記で以下のように述べている。「1969年1月13日、ポールはアップルのスタッフに対して本当にケチだ。会社の雑用係に昇進したが[エヴァンズは短期間だがアップル・コアの経営部門で働いていた]、僕は心の内でとても傷つき、悲しんでいる—だが大の男は泣かないものだ。なぜ僕は心が傷ついてこんなことを書くのかといえば、それは自分のエゴのせいだ。... ビートルズと関係のある人達の中で、僕は自分を他の人達とは違うと思っていたし、彼らに愛されている、大切にされている、家族の一員のようなものだと思っていた。でもただの使い走りだったようだ。毎週家に持ち帰る38ポンドの給料では生活が苦しいし、僕だって豪邸を買ったり、改築したりする彼ら(ビートルズ)の他の友達みたいになりたいから、まだ昇給をお願いしたいとも思う。でも僕は自分にいつもこう言い聞かせる—見ろ、みんなは(ビートルズから)もらおうとするばかりだ、分をわきまえろ、与えよ、さらば与えられん、だ。今僕が自分の口座に持っているのは70ポンド程だが、満足しているし幸せだ。彼らを今までどおり愛せば、何もそんなに面倒なことではないさ、僕は彼らに尽くしたいんだ。ようやく気分も少しよくなってきた—「エゴ」だって?」エヴァンズの経済上の問題は、ジョージ・ハリスンに借金を申し込むまでに深刻になった。4月24日の日記には、「ジョージにこう伝えなければならなかった—「僕は破産だ」。本当にみじめで落ち込む、なぜなら僕には、赤字なのに請求書は届き続けるし、僕が昇給しようとしないために、かわいそうなリル[妻]は苦しんでいる。昇給をお願いしたくないと言えば嘘になるが、いつものようにあいつらも非常に大変な時期なんだ。」と記している。エヴァンズは1968年にバッドフィンガーとアップルが契約する際の責任者になった。バッドフィンガーは、アップル・コアのレコード・レーベルであるアップル・レコードと契約を結んだ最初のロックバンドであった。 1969年3月12日、マッカートニーとリンダ・イーストマンがメリルボーンの結婚登録事務所に結婚を届け出た際、エヴァンズはアップル・コアの人間の中ではただ一人、結婚の証人として招かれた。エヴァンズは日記に当日の様子を次のように記している。エヴァンズは午前9時45分には事務所に到着することになっていたが、ポールの弟、マイク・マクギア(英語版)の乗るバーミンガムからの列車が遅れ、迎えのためピーター・ブラウンとエヴァンズは、午前9時15分に結婚登録事務所の前を一旦通り過ぎた。その時は、雨の中立って待ち構えているカメラマンや熱烈なファンの姿は少ししかなかったが、午前11時30分に結婚登録事務所を出た時は、一行はおよそ1,000人もの群衆に取り囲まれたという。 サヴィル・ロウのアップル・コアの屋上でビートルズが演奏した時には、エヴァンズは、可能な限り演奏を止めに来た警官の足止めをするよう命じられた。
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