インドとイーラム民族解放戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:11 UTC 版)
「タミル・イーラム解放機構」の記事における「インドとイーラム民族解放戦線」の解説
その後、TELOは1983年までほぼ休眠状態であったが、1983年7月25日にタンガドゥライとクッティマニがシンハラ人囚人らが起こした刑務所暴動で苛烈な暴行を受けて殺害された。これを受けて、スリ・サバラトナムが正式にリーダーとなった。訓練を受けた幹部らに武器を与え、軍とのゲリラ戦を戦うためにスリランカに送り込んだ。 1984年2月には、EROSおよびイーラム人民革命解放戦線(EPRLF)とともに、イーラム解放のための共闘組織としてイーラム民族解放戦線(ENLF)を結成した。 その年の4月にはLTTEもENLFに参加した。各組織の協調により、ENLFはジャフナの政府施設への攻撃を開始した。TELOはジャフナの主だった警察署を破壊し、軍の輸送部隊を攻撃した。各組織の協調によるテロ行為により、ジャフナ市当局の統治能力はほぼ完全に失われた。
※この「インドとイーラム民族解放戦線」の解説は、「タミル・イーラム解放機構」の解説の一部です。
「インドとイーラム民族解放戦線」を含む「タミル・イーラム解放機構」の記事については、「タミル・イーラム解放機構」の概要を参照ください。
- インドとイーラム民族解放戦線のページへのリンク