イギリスにおけるスキッフルのブームとは? わかりやすく解説

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イギリスにおけるスキッフルのブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 22:39 UTC 版)

スキッフル」の記事における「イギリスにおけるスキッフルのブーム」の解説

比較曖昧なジャンルであるスキッフルは、1950年代イギリスにおけるリバイバルと、その中心にいたロニー・ドネガンの成功なければ、ほとんど忘れ去られていたかもしれないイギリススキッフルは、スウィング・ジャズから離れてトラッド・ジャズ(Trad jazz)へと向かう動き見せていた戦後のブリティッシュ・ジャズ(British jazz)・シーンから生み出されたものであるそうしたバンドのひとつがケン・コリア(Ken Colyer)が率いたケン・コリアズ・ジャズメン(Ken Colyer's Jazzmen)であり、そのバンジョー奏者であったドネガンは、バンド演奏合間スキッフル演奏していた。ドネガンはギター弾きながら歌うことが多く、他に2人メンバーウォッシュボードティーチェスト・ベース(Tea Chest Bass)で伴奏するのが通例であった。彼らは様々なアメリカフォークブルースの歌、特にレッドベリー録音由来するものをよく取り上げアメリカジャグ・バンド真似た陽気なスタイル演奏した公演ポスターでは、休憩中の「スキッフル」と表示されたが、これはケン・コリアの兄弟ビルが、ダン・バーレー(Dan Burley)率いるダン・バーレー・スキッフル・グループのことを思い出して提案した名称だった。程なくして、この休憩中の出し物は、トラディショナル・ジャズ同じよう人気を博すようになった1954年には、バンド内の意見対立からコリア新しグループ結成するためバンド離れ残されバンドはクリス・バーバー(Chris Barber)をリーダー据え、クリス・バーバーズ・ジャズ・バンド(Chris Barber's Jazz Band)に衣替えした。 イギリスにおけるスキッフル初録音は、コリア新しバンドによって、1954年行われたが、スキッフル運命変えたのは、1955年の遅い時期に、バーバーズ・ジャズ・バンドが「ザ・ロニー・ドネガン・スキッフル・グループ」名義デッカ・レコードからリリースした2曲のスキッフルであったレッドベリーの「ロック・アイランド・ライン (Rock Island Line)」のテンポ速めたドネガンのバージョンは、ウォッシュボードフィーチャーした(ティーチェスト・ベース使っていない)演奏で、B面には「ジョン・ヘンリー(John Henry)」を収めたシングル盤は、1956年大ヒットとなった。この曲はトップ20に8ヶ月居座り最高位は6位(米国でも8位)になったまた、イギリスでは初めて、デビュー・レコードゴールドディスクになった曲であり、世界中で100万以上が売れた。 このシングル盤成功と、高価な楽器や高い演奏技量を必要としないことが、イギリスにおけるスキッフルのブームのきっかけとなったスキッフルブームとなった時期には、チャート成功を収めるバンド少なからず登場し、チャス・マクデヴィット(Chas McDevitt)のグループ(The Chas McDevitt Group)、ジョニー・ダンカン(Johnny Duncan)率いるジョニー・ダンカン・アンド・ザ・ブルーグラス・ボーイズ(Johnny Duncan and the Bluegrass Boys)、ザ・ヴァイパーズ(The Vipers)などが活躍した。しかし、ブーム大きな影響生んだのは、草の根アマチュア活動としての側面においてであり、とりわけ労働者階級男性たちは、楽器安く手に入れたり、あり合わせのもので自作して、戦後イギリス味気ない耐乏生活への反動のように、スキッフルとびついたBBCテレビで『シックス=ファイブ・スペシャル (Six-Five Special)』の放送が始った1957年には、おそらくブーム絶頂達していたと言えるだろう。この番組は、イギリス最初若者向け音楽番組であり、スキッフルの曲を主題歌にし、多くのスキッフル・グループを紹介するショーケースとなった一説では、1950年代末には、イギリスには3から5万組のスキッフル・グループがいたもの推定されている。ギター売り上げ急増し、他のミュージシャンたちは即席ベースパーカッション加わり教会ホールカフェといった場所で、音楽完成度や高度な演奏技能などは気にしない演奏出来た多くイギリスミュージシャンたちが、この時期スキッフル演奏することで、そのキャリアスタートさせ、後にそれぞれの分野名を成すことになった北アイルランド代表するミュージシャンヴァン・モリソンイギリスにおけるブルース開拓者アレクシス・コーナーロニー・ウッド、アレックス・ハーヴェイ、ミック・ジャガーマーティン・カーシージョン・レンボーン、アシュレー・ハッチングス(Ashley Hutchings)、ロジャー・ダルトリージミー・ペイジリッチー・ブラックモアロビン・トロワーデイヴ・ギルモアポップ系のビート・ミュージック成功したホリーズグラハム・ナッシュ(Graham Nash)とアラン・クラーク(Allan Clarke)などは、そうした例である。その中で最も有名なのはジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスンら後のビートルズメンバー在籍したザ・クオリーメンだろう。 バーバー分かれてから、ドネガンは、「カンバーランド・ギャップ (Cumberland Gap)」(1957年)、「ダズ・ユア・チューインガム・ルーズ・イッツ・フレイヴァー (Does Your Chewing Gum Lose Its Flavour)」(1958年)、「マイ・オールドマンズ・ア・ダストマン」(1960年)といった一連の人気レコードを「ロニー・ドネガンズ・スキッフル・グループ」名義制作し続けた。やがて、ブリティッシュ・ロック(British rock)の最初の段階としてロックンロール・シーンが出現しトミー・スティール(Tommy Steele)、マーティー・ワイルド(Marty Wilde)、クリフ・リチャード・アンド・ザ・シャドウズ(The Shadows)など、イギリス出身スターたち活躍し始めると、チャート影響与えるようなスキッフル奏者はドネガンだけになってしまい、それも徐々に流行遅れになっていった。1958年には、スキッフル熱狂はほぼ終焉迎えており、この音楽熱中していた人々は、音楽をやめてしっかりした仕事に就くか、フォークブルースロックンロールなど、別の形態音楽へと進んでいったのである。 ドネガンは、2002年亡くなるまで、演奏活動続けた。ジ・アグリー・ドッグ・スキッフル・コンボ(The Ugly Dog Skiffle Combo)やザ・ロンドン・フィルハーモニック・スキッフル・オーケストラ(The London Philharmonic Skiffle Orchestra)など、いくつかの若い世代バンドが、スキッフル形態継承したり、かつてスキッフル演奏したグループスキッフル回帰したりする例はあるが、スキッフルリバイバル目指す試みは、かつてのような熱狂生み出すには至っていない。

※この「イギリスにおけるスキッフルのブーム」の解説は、「スキッフル」の解説の一部です。
「イギリスにおけるスキッフルのブーム」を含む「スキッフル」の記事については、「スキッフル」の概要を参照ください。

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