イギリスにおいて実子を義絶した事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 23:54 UTC 版)
「勘当」の記事における「イギリスにおいて実子を義絶した事例」の解説
イギリスの政治家であったレオ・アメリー(英語版)には、第二次世界大戦当時、既に成人した若者であった二人の息子がおり、そのうち一人はイギリス軍に加わって戦ったのだが、もう一人の息子ジョン・アメリー(英語版)はナチス・ドイツに与して、出身国イギリス向けの宣伝ラジオ放送に従事した。1945年に終戦を迎えた後、ジョン・アメリーは反逆罪で訴追され、処刑されたが、遺された父親は『Who's Who』に記載されていた自分の経歴の中にあった「息子2人 (two sons)」という記載を、「息子1人 (one son)」と改めるよう編集部に求め、これを認められた。
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