アレゲニー郡港湾局時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 05:49 UTC 版)
「PCCカー (アレゲニー郡港湾局)」の記事における「アレゲニー郡港湾局時代」の解説
1949年に全車両の製造が完了し、全666両が揃ったPCCカーであったが、その3年後となる1952年以降ピッツバーグ鉄道の路線網はバスに置き換えられる形で縮小を始め、多くの系統の最終列車にPCCカーが使用される事となった。1964年にピッツバーグ鉄道を始めとしたピッツバーグの公共交通が公営化されアレゲニー郡港湾局(英語版)に運営権が移管されて以降も路線縮小の流れは続いた。その結果1961年に試作車の100が廃車・解体されたのを皮切りにPCCカーの廃車が急速に進み、1972年時点で残存していた車両は95両にまで減少した。またこれらの車両についても増収を目的に広告電車への塗装変更が進んだ。 解体作業が進むPCCカー(1966年撮影) アレゲニー湾港湾局塗装を纏うPCCカー(1967年撮影) 広告塗装に変更された1713(1980年撮影) ピッツバーグ市内を走る1724(1983年撮影) 一方、同事業者では1971年に2両のPCCカーへ前面形状の変更や塗装変更を伴うリニューアル工事を実施し、1972年7月26日から営業運転に投入した。また、これとは別に1981年からは最終増備車(1947年製)を対象とした大規模なリニューアル工事が実施され、制御装置や制動装置などの主要機器が刷新された他、車内も照明の交換を始めとした改良工事が行われた。また集電装置も試作車を除いてポールからシングルアーム式パンタグラフに変更され、一部車両は霜取り用として車体前方にもパンタグラフが増設された。計画では45両が更新対象だったが実際は予算の関係で12両のみが対象となり、これらの車両は車両番号が4000番台(4001 - 4012)に改められた。加えて、車内照明など一部の更新が行われなかった車両も4両存在しており、これらは元の番号(1700番台)を維持していた。以上のリニューアル工事は、アレゲニー郡港湾局の自局工場で行われた。 前面形状が変更された1779(1979年撮影) 機器を中心とした更新工事が実施された4009(1994年撮影) 1733は一部の更新工事が省略された(1980年撮影) ライトレール(英語版)用車両とすれ違うPCCカー(右、1994年撮影) アレゲニー郡港湾局で最後まで使用されていたPCCカーは、この1980年代に更新工事を受けた車両であった。当時同事業者では路面電車網のライトレール化(ピッツバーグ・ライトレール(英語版))を進めており、市内中心部の路線の地下化などの工事を経て1985年に大部分がライトレールとして再開業しが、一部区間はその後も従来の路面電車規格のまま残存した。これらの区間ではライトレール用の大型車両の導入が困難であった事が、PCCカーの使用が継続した要因である。 だが、それ以降もPCCカー使用区間のライトレール化や路線自体の廃止によりPCCカーの運用範囲は縮小し、最後まで使用されていた47D ドレイク線(英語版)が廃止された1999年9月4日をもって、ピッツバーグ市内のPCCカーの歴史は幕を下ろした。使用期間は63年にも及び、世界で最も長期間に渡ってPCCカーが営業運転に使用された事例となった。 運用から離脱したPCCカーが並ぶ車庫(1994年撮影) 廃車後は多くの車両が各地の博物館へ譲渡されており、1953年のワシントン線の最終列車に使用された1711や1999年のPCCカーのさよなら運転に使用された4004(両者共にペンシルバニア路面電車博物館(英語版)で保存)、シーショアー路面電車博物館(英語版)の収蔵車両の中で初のPCCカーとなった1440など動態保存が実施されている車両も多数存在する。また、サンフランシスコの保存路面電車系統であるFライン(英語版)では、南東ペンシルベニア交通局(フィラデルフィア)から譲渡され動態保存が行われているPCCカーのうち1両(1062)がピッツバーグ鉄道の塗装を纏っている。 1711は動態保存が行われている(2007年撮影) ハインツ歴史センター(英語版)で静態保存されている1724(2010年撮影) 更新車の4001は静態保存が行われている(2004年撮影) ピッツバーグ鉄道塗装を纏うサンフランシスコ市営鉄道の1062(後方、2017年撮影)
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