アメリカ海軍の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 20:51 UTC 版)
アメリカ海軍は、「マジック」極東情報が行った日本軍の暗号電報の傍受と解読と、F-13(B-29の偵察機型)の空中偵察により大和出撃についてほぼ全容を把握していた。 4月3日菊水一号作戦発動を天信電令作第39号の解読により察知し、4月4日のGF電令作第601号電番などにより突入の日が6日であること、4月5日には「第一遊撃部隊が6日に徳山で燃料を補給すべし」との連合艦隊司令長官の指令を、4月6日には天一号作戦部隊発の沖縄特別根拠地隊宛のGF電令作第607号電番解読により第二遊撃部隊が海上特攻隊であること、さらにGF電令作第611号電番により大和以下8隻の駆逐艦と矢矧であることを、そして、あらかじめ6日夕刻ごろに艦隊が豊後水道を出撃せよとの連合艦隊の命令まで解読しており、潜水艦に「敵艦隊が被害を受けて引き返すことのないよう」魚雷発射を禁止して、哨戒配置につかせていた。また、F-13による偵察で、午前9時30分に呉西方を行動中の駆逐艦6隻と大型艦の行動を捕捉し、6日の日没後にはついに豊後水道通過時に艦隊はアメリカ潜水艦SS295「ハックルバック」がレーダーにより発見して追跡、しばらくの間接触を保つことができた。これによりアメリカ艦隊は、暗号情報が正しいことを確認できた。 詳細は「モートン・デヨ」を参照 4月6日、大規模な神風攻撃「菊水一号作戦」が行われ、これを見たスプルーアンス大将は、神風攻撃に呼応して水上部隊も出撃してくるだろうと推測した。スプルーアンス大将は潜水艦と航空機による哨戒を厳重にするよう命じる。この4月6日午後、徳山から「光輝アル帝国海軍海上部隊ノ伝統ヲ発揚スルト共ニ其ノ栄光ヲ後昆ニ伝ヘントスル」第二艦隊が出撃する。上述のようにデヨと同期換算の伊藤整一中将に率いられた第二艦隊は戦艦大和と第二水雷戦隊(司令官古村啓蔵少将)で構成され一路沖縄を目指すが、豊後水道通過後に2隻のアメリカ潜水艦スレッドフィン (USS Threadfin, SS-410) とハックルバック (USS Hackleback, SS-295) から相次いで発見され、情報はスプルーアンス大将の下に集められる。はたしてスプルーアンス大将の予測は的中し、4月7日未明にデヨを呼び出して水上戦闘の準備を行うよう命令を発した。同時に、艦隊には航空部隊も連ねていると推測したスプルーアンス大将は、第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将に対しても、空からの脅威に対処するよう命じた。 スプルーアンス大将は一つの夢を見ていた。しばらくは陸上砲撃という任務しか与えられなかった指揮下の戦艦に、艦隊決戦を実施させる最後の機会を与えたかった。幕僚の中には大和を恐れる者もいたが、第54任務部隊の数的優勢をもってすれば撃破はたやすいとも考えられていた。機動部隊指揮官であるマーク・ミッチャー中将は、戦艦に対する航空機の優位性を証明できる最良の機会として闘志を燃やし、機動部隊に「空からの脅威に対処するよう」という命令が出ていたため、3個の空母部隊を大和への攻撃が可能な九州より最も遠い海域に集結させた。
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