アメリカ海軍の群狼作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:28 UTC 版)
潜水艦による連携攻撃はアメリカ海軍も取り入れており、大戦中に日本の輸送船団に対して使用している。潜水艦は3隻を1グループとし、また、攻撃方法は包囲殲滅よりも波状攻撃が主であった。 アメリカ海軍の狼群戦術は、公式には「調整攻撃グループ」(coordinated attack groups )と呼ばれ、通常は3隻の潜水艦で一部隊となって哨戒し、出港前に3隻の中から先任の指揮官による統制に服するよう組織化された。"Swede"ことMomsenは戦術を工夫し、1943年10月1日、最初のアメリカ潜水艦による狼群 - 「セロ(SS-225)」、「シャード(SS-235)」、「グレイバック(SS-208)」 - を率いて出撃した。なお、アメリカ海軍はウルトラによる暗号解読情報を展開中の各艦に通報するなどの支援を行っていた。 当時のアメリカ海軍は個人の日記記録を厳しく禁じており、公式記録以外の個人での狼群戦法の記録はほとんど残っていなかった。しかし、ユージーン・B・フラッキー(Eugene B. Fluckey)少佐が艦長を務めた「バーブ(SS-220)」の一魚雷員が戦後30年経過してから秘密日記をつけていたことを少佐に告白し、同少佐が回顧録を書く際にその内容を明らかにした。
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