アビシニア危機とは? わかりやすく解説

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アビシニア危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:21 UTC 版)

第二次エチオピア戦争」の記事における「アビシニア危機」の解説

詳細は「アビシニア危機(英語版)」を参照 1935年1月3日エチオピアイタリア侵略国際連盟提訴した7月24日イギリスイタリアに対してエチオピア侵略対す警告行い、「もはや同盟国ではない」と通告した8月にはイギリス本国艦隊ジブラルタル派遣されイタリア政界にはイギリスとの戦争恐れる声が高まった。しかしフランス戦争消極的であり、イギリスフランス協力無しには戦争踏み切ろうとはしなかった。この間イタリアエリトリアソマリランドの軍をエチオピア国境集結させ始めた8月16日からはパリにおいてイタリア・イギリス・フランス三国の代表が会談行った。この席でイギリス・フランス側は、エチオピア独立自体変わらないしながらも、国境線の変更イタリアによる事実上委任統治認めるなどの宥和的な提案行ったが、ムッソリーニはあくまでエチオピア軍事占領こだわったために会談決裂したイギリス艦隊マルタ向かいマルタ攻撃され場合には直ち戦争突入することが決定された。国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世エチオピア侵攻反対していたが、ムッソリーニ戦争方針変えなかった。この問題国際連盟討議対象となったが、9月6日には英仏・ポーランド・トルコ・スペインによって構成される第三国委員会平和的解決模索を行うことになった。しかし9月10日イギリスフランスの代表は会談行いイタリアに対して軍事制裁スエズ運河封鎖などの強硬措置は執らず、国際連盟枠組み内で戦争抑止する方針をとることが合意された。9月11日イギリスのサミュエル・ホーア外相エチオピア独立支持する演説行い各国連盟代表の熱烈な歓声受けた9月18日、五国委員会エチオピア独立連盟保障するかわりに指導下に置き、イタリアが望む国境線変更を行う代償として、英仏イギリス領ソマリランドおよびフランス領ソマリランドから若干領土エチオピア割譲するという調停案を出したイタリア政界内部でも提案受け入れ求める声が高まったが、ムッソリーニは「20軍隊東アフリカ遠足出したとでもいえというのか」と考慮すらしようとせず、9月21日正式に拒否決定行った。この時点で英伊間の緊張最高潮高まったが、ここでイタリア戦争範囲エチオピア限り英仏権益侵害しないという意図伝達し英仏もこれを容認したために、地中海における戦争事態回避された。 英仏イタリア抑止動かないことが明らかになり、攻撃がもはや避けられない事態となるや、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエは、国家総動員命令し50万人新兵集めたが、彼らの多くは、弓矢といった原始的な武器しか持っていなかった。

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アビシニア危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 15:39 UTC 版)

イタロ・バルボ」の記事における「アビシニア危機」の解説

1935年アビシニア問題悪化すると、バルボ英軍参戦危惧してエジプトスーダン攻撃する為の戦力準備したムッソリーニ明確にエチオピア征服する意図明らかにすると、イタリアイギリスの関係は実際に緊張した状態に入っていた。アビシニア問題絡んでイギリス権益軍隊対す防衛策として、イギリス地中海海軍エジプト駐留軍増強始めた。更にスエズ運河封鎖されればそもそもエチオピア陸軍送り込めなくなると考えたバルボリビア戦力増強努めたこうした動き背景にはムッソリーニに対して圧力を掛ける狙いもあった。 3個師団700機の航空機援軍として到来すると、バルボ著名な地理学者ラシロ・アルマシー(en:Laszlo Almasy)からエジプトスーダンに進むことの実現可能性に関して調査依頼したと言われる1935年9月1日時点地理的状況把握した上で適切な軍配置を終了したバルボは、イギリス軍対す奇襲攻撃計画した。この時、イギリス情報部怠慢から全くバルボ動き把握せず、前線部隊展開した英軍部隊油断しきった状態にあった。しかしイギリスとの戦争無謀判断したムッソリーニは、ロンドンバルボ部隊配置教える事でバルボ行動中止追い込んだその後イタリア政府イギリス政府話し合い結果として両国間でイタロ・アングロ協定(英伊協定)が締結され一先ずアビシニア危機は遠ざかるになった

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