アビシニアへの爆撃任務
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「サヴォイア・マルケッティ SM.75」の記事における「アビシニアへの爆撃任務」の解説
1943年にアビシニアのグラの飛行場に駐留する米国の爆撃機を破壊する目的のためだけにSM.75から製作された2機のSM.75 GAが爆撃任務に従事した。3,000 km (1,860 ml) 以上彼方の目標に到達するために2機(民間登録記号:I-BUBAとI-TAMO、軍用シリアル番号:MM.60539とMM.60543に再登録)が11,000 kg (24,250 lb) の燃料を搭載し、「イオッツァ」("Jozza")爆撃照準器と1,200 kg (2,650 lb) の爆弾を搭載可能な爆弾倉を装備するように改装された。ヴィッラ(Villa)とペローリ(Peroli)という名の将校に率いられた最も熟練した搭乗員がこの任務のために選抜された。 爆撃任務は1943年5月23日 06:30に当時「レジア・アエロノーティカ」の最東端の飛行場があったロドス島から開始された。空虚重量が10,200 kg (22,490 lb) の機体は離陸時の重量が24,000 kg (52,910 lb) にもなっていた。SM.75 GAのエンジンは出力性能よりも航続性能と経済性を重視した調整がなされていたため、燃料と爆弾を搭載した過荷重状態での離陸は困難であった。出発当初は低空で飛行し、10:00になって改造型SM.75 GAは高度3,000 m (9,842 ft) に上昇した。かなりの燃料を消費してしまっていたペローリ機はポートスーダンに爆弾を投下し、23時間滞空した後の1943年5月24日 05:30に無事ロードス島に帰還した。その一方でヴィッラ機は単機で飛行を続け、前線のかなり後方に位置しているにも関わらず重防御が施されたグラ飛行場の上空に18:45に到着し爆弾を投下した。1発が投下に失敗して機内に残され爆発の危険があったがヴィッラ機の任務は成功し、6,600 km (4,100 ml) 以上を飛行し24時間15分滞空後、ペローリ機に遅れること1時間15分の1943年5月24日 06:45に無事ロードス島に帰還した。
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