アイヌとサケ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 05:05 UTC 版)
「アイヌ料理」も参照 北海道のアイヌ民族は鮭をカムイチェㇷ゚(神の魚)、またシペ(本当の食べ物)と呼び、生活の大半をその恵みに依存していた。 石狩市の石狩紅葉山49号遺跡からは約4000年前の縄文時代に使われていたと推測される、簗の部品や松明などサケ漁の用具が出土している。 アイヌは、漁期が近づけば天空の天の川を見上げて「天の石狩川」「天の天塩川」など、その地一番の大河になぞらえ、どこが一番濃く見えるかで漁の豊凶を占った。白老や登別付近では、頭がハゲたカラスが現れれば、豊漁の兆しとしてよろこんだ。 やがて最初に上って来た鮭を捕らえるや、それを神に捧げる「アシリチェㇷ゚カムイノミ」(新たなる鮭の祈祷)を行い、イナウ(木幣)とトノト(どぶろく)を共に捧げて祈った。サケは回転式の銛「マレㇰ」で突くか、ウライ(簗)で捕らえ、水量のあるところでは2艘の丸木舟の間に網を張って漕ぎ、サケを追い込む「ヤーシ漁」(網漁)を用いた。W字型をした天空のカシオペヤ座は2艘の舟と網に似ていることから、アイヌは「ヤーシ・ノッカ」(網曳き形の星)と呼ぶ。暴れるサケはそれ専用に作られた神聖な棍棒「イサパキㇰニ」で打って止めをさすが、これには活け締めの効果があるとされる。鎌などで引っ掛けることは神を冒涜するものとされた。漁期には物忌みが守られ、生理中の女性は川に近づくことを許されなかった。 サケは河口のコタンで独り占めはせず、上流部へもいきわたる様に節度を持って獲る。そしてチポㇿ(イクラ)やウㇷ゚(白子)を持った美味いサケを狙うのではなく、産卵を終えて弱ったサケ「ホッチャレ」を重点的に獲った。来年への資源確保も重要だが、脂肪が抜けきった「ホッチャレ」のほうが乾燥保存に向く、という事情もあった。 こうして獲られたサケの身は、一部を当座の食用に回すほかはすべて保存食に加工した。腹を割いて内臓を取り除き、戸外の物干し棚にかけて乾燥させる。屋内の囲炉裏の上に吊り下げ、燻製にする。あるいは雪の中に埋めて凍らせる。乾燥サケを「サッ・チェㇷ゚」(乾いた魚)、もしくは「アタッ」と呼ぶ。食べる際は水に戻し、魚油を加えて旨味を足しながら煮込む。凍ったサケが、北海道の郷土料理として有名なルイベである。食べる際はマキリ(小刀)で大まかに切り分け、ヤナギの串に刺して火にあぶって解かし、少量の塩で味をつけて食べる。塩は交易でのみ得られる貴重品なので、保存料として大量には使えなかった。アイヌの伝統的な食文化に、塩引き鮭、新巻鮭は存在しない。 アイヌの代表的な鮭料理としてはルイベのほか、「チェㇷ゚オハウ」(鮭の煮込み汁)、「チタタㇷ゚」(たたき、鮭の場合はエラと白子)、「チポㇿサヨ」(イクラ入りの粥)が挙げられる。特に白米のチポㇿサヨは鮭の漁期に貴重な白米が入手できてこそ作られる料理であり、大変なごちそうだった。 また、サケは身だけでなく皮は靴などの材料に用いられていた。
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