さらなる進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:12 UTC 版)
「ポートモレスビー作戦」の記事における「さらなる進撃」の解説
日本軍の南海支隊は8月31日にイスラバを占領し、9月2日にギャップ、9月4日にスタンレー山脈の峠へと駒を進め、そこで初めてスタンレー山脈の峠から先はポートモレスビーまで下りではないことを確認したが、現地の地形に関して把握しきれなかった。そして第17軍に峠へ到達したことを報告、9月8日にはエフォギを占領し、9月13日からポートモレスビーまで約50キロのオーストラリア軍第25旅団が陣地を敷いていたイオリバイワの攻撃を開始した。オーストラリア軍の司令官モリス少将は、2個大隊をもつ第21旅団(アーノルド・ポッツ准将)と第53大隊を増援に送ったが、焦土戦略で食料をはじめとする物資を処分し、日本軍が期待していた現地での物資確保を阻害することで侵攻の遅延は図れると考えた。オーストラリア軍の主力部隊は北アフリカ戦線に派遣されていたこともあって、ニューギニア部隊に残された手段は少なかった。さらに、増援の第21旅団の旅団長ポッツ准将はイオリバイワが戦術的に守備に適した地形であることから日本軍との決戦をイオリバイワで求めても良いと判断して退却を容認していた。 ラバウルで戦況を見守る日本軍の第17軍は、現地の地形について、また、前線にいる堀井少将の元へ命令が届くのに時間がかかることを全く理解していなかった。加えて第17軍が消極的命令を出したのは、南海支隊主力がブナに向かう以前の8月7日、すでに連合軍のガダルカナル島上陸を皮切りに反攻が始まっており、日本陸軍の目もソロモン諸島に向けられていたためでもあった。その上、8月23日に起きた第二次ソロモン海戦で制空権だけでなく制海権までも失いかけていた。日本海軍は東部ニューギニアの東端に位置するミルン湾にオーストラリア軍が6月から基地建設を開始していることを察知したため、8月24日に攻略部隊を送るが失敗し、9月3日には暗号書の処分に至った(ラビの戦い)。 連合軍司令官ダグラス・マッカーサー陸軍大将とオーストラリア軍最高司令官トーマス・ブレーミー陸軍大将はポートモレスビーの攻略を恐れ、バジル・モリス少将に換えシドニー・ラウェル中将を東部ニューギニア部隊司令官に新任した。オーストラリア軍が予想した通り、日本軍の補給線は延びきっており、ココダまでの道路建設も十分でなく、馬を使用しなくてはならなかった。しかも、馬で輸送できるのはココダが限度で、イスラバへは馬でも困難であった。さらに、9月7日ごろから前線はアメリカ・オーストラリア連合軍の空襲に晒されて、補給も完全に危機的状況に陥っていた。それでもなお日本軍の南海支隊は9月13日からイオリバイワに攻撃を開始し、15日には東西の高地と三角山の陣地を占領し、16日にイオリバイワを占領した。ジョージ・ケニー中将指揮するアメリカ陸軍第5航空軍(ブリスベン)はP-38 ライトニングを装備した戦闘機部隊を東部ニューギニアにおける制空権を確保するため、前進航空隊としてポートモレスビーに送り込み、オーストラリア軍の東部ニューギニア部隊司令官ラウェル中将は、第21、第25旅団だけで日本軍を阻止できると予想していたが、第16旅団もイオリバイワに送った。にもかかわらず、日本軍にイオリバイワを占領され、連合軍司令部に以下のような報告を行った。 日本軍のオーエンスタンレー山脈突破とポートモレスビーに迫る軍事的成功。決定的なタイミングと場所、そして兵力の優勢。 日本軍の簡単な補給及び偽装という観点からの装備。 イスラバ、エフォギ占領など日本軍が主導権を手にした時点での増援の兵力補充の欠如。 密林における日本軍の高度な訓練水準。 — シドニー・ラウェル中将, 9月22日、東部ニューギニア戦 しかし、南海支隊主力ラバウル出発以前の8月7日に連合軍がガダルカナル島に上陸して反攻が始まっており、第17軍は8月12日、東部ニューギニアだけでなくソロモン諸島方面も防衛するという二正面対決を決定し、航空機のみならず増援部隊も東部ニューギニアには送らなかった。そして、8月18日にガダルカナル島に上陸した一木支隊の第1梯団が21日には壊滅し、9月13日の夜半から行われた川口支隊のガダルカナル島第1次総攻撃は失敗した。このため、ニューギニア戦線への投入が予定されていた第2師団はガダルカナル島に向けられ、ポートモレスビー総攻撃ができなくなってしまったばかりではなく、集積されていた補給物資や航空支援もことごとくガダルカナル島へ向けられ、補給は停まってしまっており、モリス少将やラウェル中将の判断は誤りではなかった。
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