『AKIRA』以前:試行錯誤の時代
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「フランスにおける日本の漫画」の記事における「『AKIRA』以前:試行錯誤の時代」の解説
1978年以前には、フランス語圏では現代的な意味での日本漫画の紹介はほとんど行なわれていない。例外としては1969年に柔道雑誌 Budo Magazine Europe に収録された平田弘史の『武士道無惨伝』 (Bushidou Muzanden) の数篇、および1972年に Phénix 誌 (Phénix) にクロード・モリテルニ (Claude Moliterni) と小野耕世による「日本のバンド・デシネ」 « La Bande Dessinée Japonaise » と題された記事が掲載されたのみである。1978年にアトス・タケモト (Atoss Takemoto) は Cri qui tue 誌を創刊する。これは1981年までに6冊を刊行し、さいとう・たかを『ゴルゴ13』 (Golgo 13)、手塚治虫『鳥人大系』 (Le système des super oiseaux、 後の再刊時には Demain les oiseaux)、辰巳ヨシヒロ『グッバイ』 (Good Bye)、さらに石ノ森章太郎・藤子不二雄・植田まさしなどの作品を採録していた。紙面はすべて欧米の書籍に合わせた向きに変更されている。 1979年、タケモトと出版社 Kesselring が最初の単行本となる石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』 (Le vent du nord est comme le hennissement d'un cheval noir) を刊行。当時のヨーロッパの水準からすれば優れた装丁であったがオリジナルの形式は軽視され、作者名の誤植を初めとして文字などの扱いもやや雑なものであった。雑誌と同様、単行本による紹介も最初期の試みは不発に終わった。この後1982年、テレビ放映されたアニメ『キャンディ・キャンディ』 (Candy) の人気を受けて出版社 Télé-Guide がいがらしゆみこと水木杏子による原作漫画を Candy Poche シリーズ全12巻として刊行した。これは、著作権料の支払いを回避しつつフランスのスタジオが独自の翻案を行なうのが一般的であった1980年代で、アニメの原作として唯一翻訳の対象となったものである。[要出典] 1982年、Les Humanoïdes Associés 社が Autodafé 叢書の一部として中沢啓治の『はだしのゲン』 (Gen d'Hiroshima) の忠実な翻訳版を刊行したが、販売は振わなかった。同様に辰巳ヨシヒロの『HIROSHIMA』 (Hiroshima) が Artefact 社から刊行されたが、これも読者を獲得するには至っていない。出版業界はこうした経験にやや萎縮し、不況が手伝ったこともあり日本漫画のフランスでの単行本化は『AKIRA』まで間が空くこととなった。この期間の例外は1989年に Albin Michel 社が翻訳出版した石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』 (Secrets de l'économie japonaise en bandes dessinées) 第1巻のみである。雑誌もまた同様であったが、Idéogram 社は1985年から1986年にかけて初めて日本の成人向け漫画を翻訳紹介している。これは Mutant 誌で11号にわたって掲載された叶精作と小池一夫の『実験人形ダミー・オスカー』 (Androïde もしくは Oscar) および、Rebels 誌の1985年6月から1986年1月(第3号 - 第9号)に掲載された松久由宇と工藤かずやの『危険なジル』 (Scorpia) である。 翻訳は不在であった一方でこの分野の可能性を指摘していた専門家もおり、1985年にティエリ・グロンステーン (Thierry Groensteen) が Les Cahiers de la bande dessinée 誌で様々な提案や記事を執筆している。また1980年代半ばには初の日本漫画情報に特化したファンジン Mangazone が誕生した。
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