たつみ‐よしひろ【辰巳ヨシヒロ】
辰巳ヨシヒロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 08:50 UTC 版)
辰巳 ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ、1935年6月10日[1][2] - 2015年3月7日)は、日本の漫画家、古書店経営者。大阪府大阪市天王寺区出身[3]。本名:辰巳 嘉裕(たつみ よしひろ)[4]。兄は、漫画家・漫画出版社経営者の桜井昌一。
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 表紙 見開き.
- ^ 『劇画漂流』下巻 2008, 表紙 見開き.
- ^ 辰巳ヨシヒロ「文庫版・劇画漂流」著者紹介
- ^ a b “辰巳ヨシヒロ氏が死去 漫画家”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年3月9日) 2023年7月23日閲覧。
- ^ “「『劇画』の命名者」漫画家の辰巳ヨシヒロ氏が死去、79歳”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2015年3月9日). 2019年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月21日閲覧。
- ^ a b 『劇画漂流』上巻 2008, 第二話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第三話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第四話、第五話、第六話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第六話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第六話、第七話.
- ^ a b “「『劇画』の命名者」漫画家の辰巳ヨシヒロ氏が死去、79歳”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2015年3月9日). 2015年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月31日閲覧。
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第九話、第十話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第十話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第十一話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第十三話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第十六話、第十七話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第十八話.
- ^ 『劇画漂流』上巻 2008, 第二十二話、第二十三話.
- ^ a b 『劇画漂流』下巻 2008, 第三十二話.
- ^ 『劇画漂流』下巻 2008, 第三十三話.
- ^ a b 『劇画漂流』下巻 2008, 第三十六話.
- ^ 『劇画漂流』下巻 2008, 第三十四話.
- ^ a b c d 『劇画漂流』下巻 2008, 第四十二話.
- ^ 『劇画漂流』下巻 2008, 第四十五話.
- ^ 『劇画漂流』下巻 2008, 第四十七話.
- ^ “Gekiga into English: translating the words, images, and culture of Yoshihiro Tatsumi’s A Drifting Life - Publishing @ SFU” (英語) (2013年8月20日). 2015年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月7日閲覧。
- ^ a b “漫画家の辰巳ヨシヒロ氏死去”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2015年3月9日). 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月31日閲覧。
- ^ “マンガ家の辰巳ヨシヒロさん死去 「劇画」の名付け親”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2015年3月9日). 2015年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月9日閲覧。
- ^ a b “Tormenta nera, Una vita tra i margini” (イタリア語). Bao Publishing. 2023年7月23日閲覧。
- 1 辰巳ヨシヒロとは
- 2 辰巳ヨシヒロの概要
- 3 作品リスト
- 4 脚注
辰巳ヨシヒロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:05 UTC 版)
手塚の「新宝島」に衝撃を受けて漫画家を志した。辰巳は当時を振り返り「手塚治虫という初めて目にする作者の作品はこれまでの漫画の常識を根本から覆す画期的な世界を構築していた」、「ぼくにとって手塚治虫は神様にも匹敵する存在になっていた」と語っている。少年時代辰巳は宝塚の手塚の家を訪問したこともある。手塚は辰巳を優しく自室に招き入れ、辰巳が持参した4コマ漫画を読み「長編を描きませんか?これからは4コマを発表する場所がだんだんなくなります。ぜひ長編を描きなさい」と助言した。これは辰巳にとって大きな助言になる。またジャングル大帝の第一話連載前のカラーページを手塚に見せてもらい、身震いし度肝を抜かれたと語っている。その後、辰巳は漫画家としてデビューし、手塚の鉄腕アトムに影響を受けた「鉄腕げん太」という漫画も描いた。しかし、数年後、敢えて手塚治虫とは別の「まんがではないまんが」を模索するようになる。その結果、辰巳は劇画の開拓者になった。「劇画」という呼び名も辰巳が考案したものである。
※この「辰巳ヨシヒロ」の解説は、「手塚治虫」の解説の一部です。
「辰巳ヨシヒロ」を含む「手塚治虫」の記事については、「手塚治虫」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 辰巳ヨシヒロのページへのリンク