劇画誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 00:40 UTC 版)
「劇画」という名称は1957年末に名古屋の貸本出版社「セントラル文庫」から出版された漫画短編集『街 12号』に掲載された辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」で初めてその扉ページに使用された。以降、辰巳は新しい漫画のジャンルとして「劇画」という名称を積極的に使い始める。 そのころ、大阪の「日の丸文庫」で貸本漫画を描いていた漫画家らは出版社の原稿料の不払いに悩んでいた。そこで団結して交渉に当たろうという趣旨で漫画制作集団「関西漫画家同人」が結成される。 1959年1月5日、辰巳ヨシヒロと「関西漫画家同人」所属のうち連絡が取れない岩井、鈴木を除く5人の漫画家が大阪の辰巳の実家で会合を持った。その際、山森の「自分たちにも『劇画』という名称を使わせてほしい」との要望を機に、辰巳が個人的に使用していた「劇画」を日の丸文庫の漫画家仲間の間で共用することになった。
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