劇的な救出作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 06:35 UTC 版)
「イングリッド・ベタンクール」の記事における「劇的な救出作戦」の解説
2007年夏、コロンビア軍情報部はFARC内部に複数の工作員を潜入させることに成功し、思い切った作戦を実行に移した。工作員たちは情報を収集しつつ、FARCの主要な幹部らの信頼を得ることに成功した。数か月にわたる工作で必要な人物との接触に成功した。潜入から8ヵ月もしないうちに人質たちの監禁されている場所が判明した。この情報に基づいて、コロンビア軍は5人の人質がアパポリス川で水浴びをしているのを確認した。現場を監視するため、ジャングルにセンサーとカメラを設置したが、ゲリラが用を足した際に装置の一つが発見されてしまった。しかし、ゲリラは気付かず、政府側の監視が発覚することはなかった。 その後の数か月、さらに数人の情報工作員がFARCの指導者会議に潜入した。2008年6月、コロンビア軍のフレディ・パディージャ・デ・レオン将軍は驚くような救出作戦案を携えて国防大臣を訪ねた。潜入した工作員たちは今や人質たちを1箇所に集めることができる立場にいた。その作戦内容とは、 人質を別のキャンプに移送し、FARCの最高指導者アルフォンソ・カーノ(英語版)に会わせるという名目で、別の工作員チームが架空の非政府組織のメンバーに扮してヘリコプターで迎えに行く。 ヘリコプターのチームにはテレビカメラマンとジャーナリストを装った兵士が2人、FARCのゲリラを装った兵士が2人乗り、その他4人の工作員は中立的立場にある人道支援活動家を装う。作戦に参加する兵士たちは演技のレッスンを受ける。 ヘリコプターに人質、工作員、FARCゲリラが乗り込み、離陸した後、ゲリラに変装した兵士がゲリラを拘束し、人質を解放する。 というものであった。ウリベ大統領は作戦を承認し、ハケ作戦(チェスのチェックメイトを意味するスペイン語)と命名された。 2008年6月下旬、FARCに潜入した工作員たちは3ヵ所に分散して監禁されていた人質たちを移送し、1箇所に集めるよう指示を出した。そこから人質、工作員、FARCゲリラ約60人がジャングルの中を145キロ歩き、ヘリコプターの着陸地点に集合した。工作員たちは「国際使節団」が来て人質たちの健康状態をチェックし、その後、FARC最高指導者アルフォンソ・カーノのもとへ連れて行くと説明した。 2008年7月2日早朝、人質と工作員、FARCゲリラたちがグアビアーレ県の空き地に集まっていると、2機のMi-17ヘリが65キロ離れたサンホセ・デル・グアビアーレから飛来し、うち1機が着陸した。FARCゲリラを装った2人のコロンビア軍兵士が飛び降り、2人は「人質を迎えに来た」と説明した。2人はエルネスト・ゲバラの肖像画がプリントされたTシャツを着用していた。 人質たちを整列させ、手錠をかけ、ヘリに乗せるのに22分かかった。工作員たちは事前に決められた暗号を用いて、ヘリの操縦士と副操縦士に作戦の進捗状況を伝えた。その後、本物のゲリラ2人が人質15人を連れてヘリに乗り込み、地上にいるゲリラたちに見送られてヘリは離陸した。離陸直後、工作員たちはゲリラの頭に銃を突きつけ、ひざまずくよう命じた。ベタンクールは現場の状況を理解できず困惑した。自分たちを6年以上も監禁し、拷問してきた男たちが今、ヘリの床の上で服を脱がされ、目隠しをされていた。そして、チェ・ゲバラのシャツを着た男がベタンクールの手錠を外して言った。 「われわれはコロンビア陸軍です。あなたは自由です」 「その後、大変なお祭り騒ぎになって、ヘリコプターが落ちそうになりました」とベタンクールは語っている。 他の14人の人質たちも自由の身になった。うち11人はコロンビア人の軍人や警察官であり、残りの3人はマーク・ゴンザルベス、トーマス・ハウズ、キース・スタンセルのアメリカ人だった。3人は民間の軍事請負業者であった。FARCゲリラの2人は逮捕された。 作戦は1発の銃弾も使うことなく、1人の犠牲者も出すことなく完了した。この模様はジャーナリストを装った軍人によってビデオ撮影されており、7月4日に公開されたが、解放を告げられた人質が泣きながら喜び合う場面が撮影されている。作戦はコロンビア軍単独で一切が行われたが、不測の事態が起きた場合には米軍に通報して協力を求める予定になっていたという。 2008年7月4日、スイスの放送局ラジオ・スイス・ロマンドは、コロンビア国軍の特殊部隊が救出作戦を行ったのは、身代金2000万ドルを支払った上で実行された、いわば作り話だと伝えたが、この報道は即座にフアン・マヌエル・サントス国防相によって否定されている。 フランス国籍も有するベタンクールはフランス政府の特別機で7月4日にパリに到着、サルコジ大統領らの出迎えを受けた。サルコジは6月にベタンクールの解放を働きかけることを公言したばかりであり、救出作戦をフランスが支援した可能性も指摘されている。
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