「カリフォルニア・ミッション」とインディアンへの虐殺
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「フニペロ・セラ」の記事における「「カリフォルニア・ミッション」とインディアンへの虐殺」の解説
セラは1770年に現在のモントレーとなる地域に移動し、サンカルロス・ボロメオ・デ・カルメロ伝道所を設立した。セラはアルタ・カリフォルニアの「ファーザー・プレジデンテ」としてそこに留まった。1771年、伝道所をカルメルに移して「カルメル伝道所」となり、本部として機能した。セラの統率のもとに、サンアントニオ・デ・パドア、サンガブリエル・アルカンジェル、サンルイ・オビスポ・デ・トロサ、サンフアン・カピストラーノ、サンフランシスコ・デ・アシス、サンタクララ・デ・アシスおよびサン・ブエナヴェンチュラの各伝道所を設立した。1782年4月21日にサンタバーバラ・プレシディオ(砦)を造ったときもいたが、フェリペ・デ・ネヴェ総督の敵意のためにそこに伝道所を建てることはできなかった。 セラはカリフォルニアでの伝道(ミッション)を、イエズス会のやり方に倣った。武装したスペイン軍隊と共にセラはインディアンたちの平和な村々を襲い、酋長や呪い師を「異端者」として真っ先に捕え、拷問を加えて脅迫し、火炙りにしてこれを殺した。大人も子供も構わず、インディアンたちを動物のように捕まえ、柵の中に追い込み、「死にたくなければカトリック教徒に入信するように」とインディアンたちを脅迫し、逆らう者たちを殺した。 フランシスコ会の記録者フランシスコ・パロウ(英語版)神父の報告では、セラが指導したフランシスコ会士の支配による最初の3年の間、インディアンたちの大人と子供が76人が洗礼を受けさせられ、これを拒否した131人が殺されて埋められた。同時期にフランシスコ会がインディアンに対して行った他所でのミッション状況は以下のとおりである。 「サンノゼ・コモンデュ(英語版)でのミッション」-洗礼数94人、殺害数241人 「プリジマ・デ・カデゴモ(英語版)でのミッション」-洗礼数39人、殺害数120人 「ヌエストラ・セフィオラ・デ・グアダルーペでのミッション」-洗礼数53人、殺害数130人 「サンタロザリア・ド・ムレゲ(英語版)でのミッション」-洗礼数48人、殺害数113人 「聖イグナチオのミッション」-洗礼数115人、殺害数293人 「サンノゼ・デル・カボでのミッション」や、「サンチャゴ・デ・ラ・コラスでのミッション」については、あまりにも生き残ったインディアンが少なすぎて、報告書は残されておらず、パロウはただ「ほとんど全員が梅毒に罹った」とだけ書き記している。1602年にカリフォルニアに上陸したセバスティアン・ビスカイノを歓迎し、壊血病に苦しむ乗組員を助け、親切にもてなしたインディアンたちは、スペイン人が持ち込んだインフルエンザ、ジフテリア、麻疹、肺炎、百日咳、天然痘、マラリア、腸チフス、コレラ、結核、赤痢、梅毒、日常的なスペイン人移民の暴力によって、ここまででその数を2万人弱まで減らしていた。セラが引き継いだキリスト教伝道は、インディアンの減少をさらに加速させた。 セラが率いるフランシスコ会によるカリフォルニア支配が始まって3年の間に、カリフォルニアのインディアンの3分の1から4分の1が死んだ。イエズス会士が初期のミッションを担当した数十年間に、どれだけのインディアンが死んだかは今となっては分からない。イエズス会は殺したインディアンの数を「必要無し」として、記録していないからである。パロウはこう書き残している。「それがこの調子で続くなら、そう長くない間に、“懐かしきカリフォルニア”は終わりを告げるだろう」 フランシスコ会の伝道所のインディアンたちの数は、最初の3年間の壊滅的な虐殺の実行から次の10年までと、さらに19世紀末から着実に増加したが、これはそれだけ伝道所に捕らえられたインディアンの数に比例していた。セラによる暴力支配の下で、半世紀未満でインディアンの新生児の年次死亡者は定期的に、出生者数の2倍となってこれを超えた。この死亡率はどんな規模の人口であっても、完全絶滅を意味する数字である。伝道所の子供たちの死亡率は、さらに悪かった。セラによる強制洗礼制度導入後の幼児死亡率は、1000人当たり140~170人で、これは出生率の3~4倍であり、その後の3年間でこれは1000人当たり220人、265人、335人と増加した。つまり伝道所に拉致監禁されたあらゆる部族のインディアンの子供たちのうちが、6人中1人、数年後には3人中1人は必ず死んだのである。 これらの数字は、1930年代後期の資料を基にしているが、近年、18~19世紀にかけてサンタバーバラ、ラ・プリシマ、サンタ・イネスの伝道所の支配下に置かれた11,000人以上のチュマシュ族インディアンからのデータを基にした分析が行われている。このレポートによると、伝道所でのチュマシュ族の2歳未満の子供たちのうちの36パーセントが伝道所で死んでいる。この子供たちのほとんどは生後12か月未満だった。3分の2の子供たちが、5歳に達する前に死んだ。4分の3の子供たちが思春期に達する前に死んだ。同時に、女性の受胎率が着実に下降するなか、若い成人女性の死亡はほぼ2人中1人と、男性を上回った。8つの異なるフランシスコ会士伝道所の14,000人の「ミッション・インディアン」においても同様の報告が行われている。
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