盛期
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「ヴォクスホール・ガーデンズ」の記事における「盛期」の解説
1728年、ジョナサン・タイヤーズ (Jonathan Tyers) という人物がヴォクスホール・ガーデンズを賃借し、大幅な改造を施して1732年に新規開園した。ヴォクスホール・ガーデンズは1シリングの入場料を取るようになったが、シーズン(6-8月)用のチケットもあり、2人で1ギニーだった。タイヤーズは1752年にヴォクスホールを買いとっている。 新しいヴォクスホール・ガーデンズの開園は17:00で、庭園内には噴水や人工の滝をほどこし、ゴシック、古典主義、中国風などのさまざまの建築様式の建物があった。また何千ものランプや中国風の提灯によって照らされた。園内にはフランシス・ヘイマン(英語版)やウィリアム・ホガースの大規模な絵画が飾られた。散歩、恋愛、食事、飲酒、音楽鑑賞、絵画鑑賞、彫像の鑑賞などのさまざまな歓楽を提供した。タイヤーズは木陰に管弦楽を隠して演奏させた。珍しい出し物として「透かし絵」は半透明の絵の具で絵を描いて、背後から照明をあてて幻想的な空間を作りだすものだった。またある出し物では短冊状のブリキに照明を当てることで滝が流れているように見せるものがあったが、「ブリキの滝」と呼ばれてむしろ嘲笑の対象になった。人気を呼んだイベントは野外のコンサートとホールで開かれる仮面舞踏会だった。ロタンダ(円形建築物)は直径70フィート(約21メートル)の丸屋根で覆われた建物で、雨の日にはここで音楽会が開かれた。 ヴォクスホール・ガーデンズのライバルとしては1742年に西のチェルシーに開園したラニラ・ガーデンズ (Ranelagh Gardens) があった。ラニラはヴォクスホールより小さかったが、ロタンダは直径150フィートもあってヴォクスホールのものより大きかった。またヴォクスホールよりも庶民的であったらしい。 1738年にはルイ=フランソワ・ルビリヤック(英語版)作のヘンデルの大理石像が庭園内に披露され、人気を呼んだ。1749年4月21日にはオーストリア継承戦争の終結を祝うための花火イベントの公開リハーサル(『王宮の花火の音楽』はこのイベントのために書かれた)がヴォクスホールで行われたが(本番はグリーンパーク (Green Park) で開催)、未曾有の1万2000人以上の聴衆を集め、あまりの人の多さのためにロンドン橋が通行止めになったと伝えられる。 幼いヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは父につれられて1764年にロンドンに到着し、姉のナンネルとともにヴォクスホールやラニラでコンサートを開いて好評を得た。
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「 盛期」の例文・使い方・用例・文例
- 全盛期で
- 人生の最盛期
- 彼は全盛期にこの小説を書いた
- 最盛期,書き入れ時
- ルネッサンス時代、ベニスの芸術は全盛期を迎えていました。
- 彼は全盛期には典型的な人気スポーツ選手だった。
- 誰にも一度は全盛期がある。
- 全盛期の中頃まで日本が封建国家であったことは、よくしられている。
- 今はカキの最盛期だ。
- どんな犬にも全盛期がある。
- その歌手はあの曲で最盛期にあった。
- この流行もかつては全盛期があった。
- ニューイングランド全盛期 《19 世紀前半》.
- 最盛期のルネサンス(様式).
- 生涯の最盛期で.
- 当時神聖ローマ帝国は最盛期にあった.
- ゴシック美術は 13 世紀にその最盛期を迎えた.
- 今いちごが最盛期だ.
- この本はアメリカ文学の最盛期を示している
- 彼は繁栄の最盛期に昇進した
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