1902 年とは? わかりやすく解説

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明治35年 (みずのえとら 壬寅)

明治35年
年(年号)
1882年 (明治15年) 上野動物園開園
1883年 (明治16年) 鹿鳴館完成
1889年 (明治22年) 大日本帝国憲法発布
1894年 (明治27年) 日清戦争
明治35年
1903年 (明治36年) 江戸開府300年
1904年 (明治37年) 日露戦争
1907年 (明治40年) 足尾銅山暴動
1910年 (明治43年) 韓国併合
1918年 (大正7年) 米騒動


明治35年
Hepburn J. 1815年1911年(文化12年明治44年) 87
Boissonade G. E. 1825年1910年(文政8年明治43年) 77
梅若  実 1828年1909年(文政11年明治42年) 74
橋本 雅邦 1835年1908年(天保6年明治41年) 67
榎本 武揚 1836年1908年(天保7年明治41年) 66
徳川(一橋) 慶喜 1837年1913年(天保8年大正2年) 65
Morse E. S. 1838年1925年(天保9年大正14年) 64
渋沢 栄一 1840年1931年(天保11年昭和6年) 62
Griffis William Eliot 1843年1928年(天保14年昭和3年) 59
尾上 菊五郎(五世) 1844年1903年(弘化元年明治36年) 58
Balz E. 1849年1913年(嘉永2年大正2年) 53
小泉 八雲 1850年1904年(嘉永3年明治37年) 52
Conder J. J. 1852年1920年(嘉永5年大正9年) 50
Eckeert Franz Von 1852年1916年(嘉永5年大正5年) 50
島田 三郎 1852年1923年(嘉永5年大正12年) 50
高村 光雲 1852年1934年(嘉永5年昭和9年) 50
明治天皇 1852年1912年(嘉永5年大正元年) 50
Fenollosa E. F. 1853年1908年(嘉永6年明治41年) 49
高橋 是清 1854年1936年(安政元年昭和11年) 48
田口 卯吉 1855年1905年(安政2年明治38年) 47
浅井 忠 1856年1907年(安政3年明治40年) 46
高木 正年 1856年1934年(安政3年昭和9年) 46
快楽亭 ブラック 1858年1923年(安政5年大正12年) 44
田中 長兵衛 1858年1924年(安政5年大正13年) 44
妻木 頼黄 1859年1916年(安政6年大正5年) 43
Bigot G. 1860年1927年(万延元年昭和2年) 42
内村 鑑三 1861年1930年(文久元年昭和5年) 41
二葉亭 四迷 1864年1909年(元治元年明治42年) 38
津田 梅子 1864年1929年(元治元年昭和4年) 38
夏目 漱石 1867年1916年(慶応3年大正5年) 35
幸田 露伴 1867年1947年(慶応3年昭和22年) 35
山田 美妙 1868年1910年(明治元年明治43年) 34
川上 貞奴 1871年1946年(明治4年昭和21年) 31
福田 徳三 1874年1930年(明治7年昭和5年) 28
上田 敏 1874年1916年(明治7年大正5年) 28
長谷川 如是閑 1875年1969年(明治8年昭和44年) 27
荒木 貞夫 1877年1966年(明治10年昭和41年) 25
寺田 寅彦 1878年1935年(明治11年昭和10年) 24
大河内 正敏 1878年1952年(明治11年昭和27年) 24
吉田 茂 1878年1967年(明治11年昭和42年) 24
有島 武郎 1878年1923年(明治11年大正12年) 24
鏑木 清方 1878年1972年(明治11年昭和47年) 24
永井 荷風 1879年1959年(明治12年昭和34年) 23
大正天皇 1879年1926年(明治12年昭和元年) 23
市川 左団次二世 1880年1940年(明治13年昭和15年) 22才
石井 柏亭 1882年1958年(明治15年昭和33年) 20才
福原 信三 1883年1948年(明治16年昭和23年) 19才
高村 光太郎 1883年1956年(明治16年昭和31年) 19才
鳩山 一郎 1883年1959年(明治16年昭和34年) 19才
石橋 湛山 1884年1973年(明治17年昭和48年) 18
東条 英機 1884年1948年(明治17年昭和23年) 18
安田 靫彦 1884年1978年(明治17年昭和53年) 18
三浦 環 1884年1946年(明治17年昭和21年) 18
武者小路 実篤 1885年1976年(明治18年昭和51年) 17才
平塚 らいてう 1886年1971年(明治19年昭和46年) 16才
山田 耕筰 1886年1965年(明治19年昭和40年) 16才
谷崎 潤一郎 1886年1965年(明治19年昭和40年) 16才
松旭斎 天勝 1886年1944年(明治19年昭和19年) 16才
柳 宗悦 1889年1961年(明治22年昭和36年) 13
古今亭 志ん生 1890年1973年(明治23年昭和48年) 12
山川 菊栄 1890年1980年(明治23年昭和55年) 12
近衛 文麿 1891年1945年(明治24年昭和20年) 11
岸田 劉生 1891年1929年(明治24年昭和4年) 11
河合 栄治郎 1891年1944年(明治24年昭和19年) 11
芥川 龍之介 1892年1927年(明治25年昭和2年) 10
西条 八十 1892年1970年(明治25年昭和45年) 10
早川 徳次 1893年1980年(明治26年昭和55年) 9才
加藤 シヅエ 1897年2001年(明治30年平成13年) 5才
淺沼 稲次郎 1898年1960年(明治31年昭和35年) 4才
土方 与志 1898年1959年(明治31年昭和34年) 4才
溝口 健二 1898年1956年(明治31年昭和31年) 4才
近衛 秀麿 1898年1973年(明治31年昭和48年) 4才
吉野 源三郎 1899年1981年(明治32年昭和56年) 3才
田河 水泡 1899年1989年(明治32年平成元年) 3才
阪東 妻三郎 1901年1953年(明治34年昭和28年) 1才
小林 秀雄 1902年〜1983年(明治35年〜昭和58年) 0才

1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 23:27 UTC 版)

1902年(1902 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年明治35年。


  1. ^ 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.(719ページより)
  2. ^ 筑波町史編纂専門委員会 編『筑波町史 下巻』つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.(253ページより)
  3. ^ 伊豆鳥島 有史以降の火山活動”. 気象庁. 2019年9月20日閲覧。
  4. ^ 図説:東北の稲作と冷害”. 農研機構. 2021年8月9日閲覧。
  5. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版1997年(平成9年))p.144
  6. ^ 歴史が眠る多磨霊園 黒沼健”. 多磨霊園. 2021年2月6日閲覧。


「1902年」の続きの解説一覧

1902年(明治35年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)

高松市の歴史」の記事における「1902年(明治35年)」の解説

内町香川県公会堂竣工する4月)。 私立高松高女学校香川県高松高等女学校になる。 第八関西府県連合共進会高松城内で開催 教育会水泳開設

※この「1902年(明治35年)」の解説は、「高松市の歴史」の解説の一部です。
「1902年(明治35年)」を含む「高松市の歴史」の記事については、「高松市の歴史」の概要を参照ください。


1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:53 UTC 版)

バージニア憲法」の記事における「1902年」の解説

20世紀への変わり目までにジム・クロウ法根付き南部6州が既にアフリカ系アメリカ人投票権剥奪していた。バージニアでも黒人投票権排除する政治的圧力盛り上がったが、これは表面的に不正選挙汚職止めさせるためとされた。このような背景1901年憲法制定会議開催されアメリカ合衆国憲法修正第15条侵犯することなく、また貧し白人権利剥奪することなく選挙権制限することが主要な焦点となった会議代議員達は、後の合衆国上院議員カーター・グラス指導のもとで、全ての期待される有権者人頭税払い読み書き能力試験パスすることとい要求事項作ることでこの目的達した軍隊退役軍人やその息子達には免除認められたが、彼らは事実上すべて白人だった。多く読み書きできない白人新し要求事項合わせることができなかったが、黒人投票者権利剥奪ということではこの修正効果的だった。その次の選挙では、この修正結果としてバージニア州有権者実質的に半分になった。 1902年憲法で他の重要な条項は、教育現場における人種分離要求と郡裁判所制度の廃止および州企業委員会創設であった制定会議アフリカ系アメリカ人新憲法反対することを怖れ憲法案は一般投票掛けられるという決まり事通りにすることを拒んだかくして、1902年憲法1864年憲法同様に選挙民による批准無くして採択された。この憲法それまでバージニア憲法よりも遙かに長い間有効に存続した。

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1902年(明治35年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:05 UTC 版)

明治」の記事における「1902年(明治35年)」の解説

日英同盟締結第7回衆議院議員総選挙

※この「1902年(明治35年)」の解説は、「明治」の解説の一部です。
「1902年(明治35年)」を含む「明治」の記事については、「明治」の概要を参照ください。


1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:48 UTC 版)

1900年代の日本」の記事における「1902年」の解説

1月30日 - 日英同盟締結

※この「1902年」の解説は、「1900年代の日本」の解説の一部です。
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1902年(明治35年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:31 UTC 版)

衆議院議員総選挙」の記事における「1902年(明治35年)」の解説

改正衆議院議員選挙法(1900年)の下での総選挙第7回衆議院議員総選挙)。

※この「1902年(明治35年)」の解説は、「衆議院議員総選挙」の解説の一部です。
「1902年(明治35年)」を含む「衆議院議員総選挙」の記事については、「衆議院議員総選挙」の概要を参照ください。


1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:45 UTC 版)

金剛 (コルベット)」の記事における「1902年」の解説

1902年(明治35年)2月19日横須賀から遠洋航海出港し8月25日横須賀帰国した

※この「1902年」の解説は、「金剛 (コルベット)」の解説の一部です。
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1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:36 UTC 版)

1900年代」の記事における「1902年」の解説

詳細は「1902年」を参照 1月 - 日英同盟締結

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1902年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 17:49 UTC 版)

ノーベル賞を巡る論争」の記事における「1902年」の解説

1902年の生理学・医学賞は、マラリア原虫生活環発見によりロナルド・ロス授与された。1897年ジョヴァンニ・バッティスタ・グラッシイタリア人研究チームは、ロスとは独立に、ハマダラカ体内でのマラリア原虫発達段階確立した。彼らは翌年にP. falciparum、P. vivax、P. malariaeの完全な生活環記述したノーベル委員会当初意見は、ロスグラッシ共同受賞者とするというものだったその後ロスは、グラッシ計画的詐欺行為告発する名誉毀損活動行った委員会任命された「中立仲裁人」のロベルト・コッホは、グラッシがその名誉に値しない主張し自身の相当な権限利用してロス支援したロスは、感染した咬傷によってマラリア原虫感染することを初め示したが、それはマラリア原虫(Plasmodium relictum(英語版))によるものだった。一方グラッシ研究は、人のマラリア原虫感染原因が雌のハマダラカのみであることを証明したものであり、人間健康に直接的に関連していた(ロス動物学者ではなかったため、種類同定しなかった。「まだらの羽を持つ灰色」というのが彼の記述全てだった)。グラッシはこの種を正確に同定し1898年最初のヒトマラリア原虫であるP. falciparumの完全な生活環確立した今日基準によれば、彼らは間違いなくノーベル受賞していたはずである。

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