高等女学校とは? わかりやすく解説

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こうとう‐じょがっこう〔カウトウヂヨガクカウ〕【高等女学校】

読み方:こうとうじょがっこう

旧制女子中等教育機関男子中学校対応するもので、修業年限は4〜5年本科の上専攻科高等科設置認められた。高女


高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 23:28 UTC 版)

高等女学校(こうとうじょがっこう)は、戦前期の日本における女子教育機関。以下に大別される。


  1. ^ a b c d 旧暦:明治5年12月2日(1872年12月31日)まで旧暦天保暦)が使われたが、その翌日12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦太陽暦)に改暦された。
  2. ^ この時点では小学校は小学校は初等科3年・中等科3年・高等科2年に分けられており、尋常小学校と高等小学校に分かれるのは1886年(明治19年)の小学校令公布時。
  3. ^ それまで尋常小学校4年間が義務年限であったが、小学校令の改正に伴い、義務年限が2年延長され、6年となった。尋常小学校4年・高等小学校4年であった修業年限が、尋常小学校6年・高等小学校2年に改められた。
  4. ^ 当時、男子教育において「実科中学校」が存在し、「実科高等女学校」はこれに対応する女子教育機関とされるが、教育目的においては主に家政学(現在の家庭科の内容に近い)を中心とした「家庭婦人としての実務教育」を目指すとされ、男子の実科中学校との差異を明確にした。
  5. ^ 本来は中等教育令で、1943年(昭和18年)度入学生より修業年限4年とされたため、その入学生が卒業する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年を施行予定であったが、戦況悪化に伴って1945年(昭和20年)に繰り上げられて実施された。
  6. ^ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止を決定した。
  7. ^ a b c 1946年(昭和21年)入学生。高等女学校へ最後に入学した生徒。
  8. ^ a b 1945年(昭和20年)入学生。
  9. ^ a b 1944年(昭和19年)入学生。
  10. ^ a b 1943年(昭和18年)入学生。
  11. ^ a b c d 稲垣恭子『女学校と女学生…教養・たしなみ・モダン文化』(初版)中央公論新社中公新書〉(原著2007年2月25日)、5-7頁。ISBN 9784121018847 
  12. ^ 東北帝国大学などは戦前に門戸を開放したが、男子の旧制高等学校と同等の試験を課しており、そこまでの教育レベルがない女子専門学校等卒業者にとってハードルは高かった。


「高等女学校」の続きの解説一覧

高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/21 21:03 UTC 版)

高知県立中村中学校・高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1908年明治41年) - 私立幡多郡実業女学校として開校1909年明治42年) - 幡多郡実業女学校改称1912年明治45年) - 幡多郡実科高等女学校改称1917年大正6年) - 幡多郡裁縫女学校併設1918年大正7年) - 幡多郡実科高等女学校廃止幡多郡立高等女学校を設置1920年大正9年) - 幡多郡高等女学校と改称1922年大正11年) - 高知県中村高等女学校改称

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高等女学校

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高知県立春野高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1908年明治41年) - 弘岡実女学校として開校。後に弘岡実科高等女学校に改称1943年昭和18年4月1日 - 弘岡実科高等女学校を弘岡高等女学校と改称1945年昭和20年3月31日 - 弘岡高等女学校が廃止される

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高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 19:37 UTC 版)

北海道余市紅志高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1923年2月27日 - 町立実科高女設立認可される1923年4月9日 - 開校式・入学式挙行する1928年 - 北海道余市実科高等女学校改称する1939年 - 北海道余市高等女学校と改称する1941年 - 北海道庁余市高等女学校と改称する1947年 - 北海道町立余市高等女学校と改称する1948年 - 学制改革により、北海道立余市女子高等学校となる。 1949年 - 北海道立余市高等学校統合し男女共学北海道立余市高等学校となる。

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高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:04 UTC 版)

大阪府立勝山高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

文部省告示347号により、大阪府第十二高女学校開校1922年3月17日告示された。同年4月1日大阪府泉尾高等女学校(現在の大阪府立大正白稜高等学校の場所)を仮校舎として開校した当時体育教育一般的にはあまり重視されていなかったが、初代校長体力作りや健康を重視し体操乾布摩擦奨励した正課体操授業のほか家庭でも体操奨励し、「家庭体操」なる独特の体操作った家庭体操1936年以降嫩葉体操」と呼ばれるようになった開校1年後1923年4月1日付で大阪府生野高等女学校と改称し同年12月東成郡生野村大字国分現在の大阪市生野区勝山南3丁目)に移転した学校名については、学校側当初近隣史跡・御勝山(おかちやま)古墳からとった「御勝山高等女学校」を希望した。しかし大阪府は「局地的な地名校名につけることは好ましくない」として学校側の案を受け入れなかったため、生野村からとった生野高等女学校となった戦前宗教講話行われ僧侶大谷女子専門学校教授左藤義詮戦後大阪府知事)やキリスト教牧師生国魂神社宮司などが講演行っている。 1934年9月21日室戸台風では校舎一部損壊したものの、校内での死傷者はなかった。近隣プール女学校現在のプール学院中学校・高等学校)で校舎倒壊したことを受けて救援活動プール女学校生徒避難受け入れるなどしている。 太平洋戦争戦局悪化により1944年には3年生上の勤労動員始まり泉南郡田尻村現在の田尻町)の大阪機工吉見の里工場中河内郡加美村現在の大阪市平野区加美)の早川電機大阪市西成区津守大日本紡績津守工場などへの動員実施された。1945年大阪大空襲では校舎への被害免れている。

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高等女学校

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大阪府立桜塚高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1937年1月大阪府第十四高女学校として開校した豊中市克明第一尋常小学校現在の豊中市立克明小学校)で出願受付おこない1937年4月開校当初大阪市東成区勝山通現在の生野区勝山南にあった大阪府生野高等女学校(のちの大阪府立勝山高等学校)に仮校舎設置した開校直後1937年4月15日豊中市大字桜塚現在地敷地買収完了し校舎建設工事おこなわれた1938年第1期工事竣工した同年4月より大阪府豊中高等女学校に改称し現在地での教育活動始まった。のちに国の登録有形文化財に登録された学校の周塀は、この時期建設されている。 1941年5月22日校舎落成式おこなった学校では、この日を創立記念日位置づけている。 太平洋戦争戦時体制により、1944年には学徒勤労令が出され生徒らは工場などに勤労動員された。1945年6月数度わたって豊中市周辺にも被害及ぼした大阪大空襲では、勤労動員先の工場で計7人の生徒死亡し生徒10人が負傷した。 また1945年3月には、大阪市内にあった大阪府立大手前高等女学校(現在の大阪府立大手前高等学校)が戦時体制校舎接収転用疎開対象となり、豊中高等女学校校舎内に疎開移転している。大手前高等女学校終戦後1945年10月まで同居した。

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高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 07:09 UTC 版)

大分県立竹田高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1908年明治41年4月24日 - 「直入郡女子実践補習学校」が開校1910年明治43年4月1日 - 「直入郡女学校」と改称1911年明治44年4月1日 - 「直入郡実科高等女学校」と改称1920年大正9年4月1日 - 「直入郡立高等女学校」と改称修業年限を4ヶ年とする。 1923年大正12年4月1日 - 移管により「大分県竹田高等女学校」と改称1934年昭和9年7月4日 - 火災により校舎焼失1935年昭和10年12月25日 - 新校舎完成

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高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:14 UTC 版)

南洋庁」の記事における「高等女学校」の解説

日本人女子のみ、修業年限4年 サイパン高等女学校 - 1939年設置前身南洋寺住職青柳貫孝が開いた南洋家政女学校校長本野久子)。第二次大戦破壊され1976年ホテル建てられたが、敷地内に寺の門柱が遺されている。 パラオ高等女学校 - 1941年設置

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高等女学校

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鳥取県立鳥取西高等学校」の記事における「高等女学校」の解説

1888年明治21年) - 私立鳥取高等女学校を設立

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高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:02 UTC 版)

旧制中等教育学校の一覧 (鹿児島県)」の記事における「高等女学校」の解説

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高等女学校

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 09:24 UTC 版)

名詞

高等 女学校 (こうとうじょがっこう 略称:高女)

  1. かつての日本における、女子高等普通教育をおこなうための5年制の学校

「高等女学校」の例文・使い方・用例・文例

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