韓国併合とは? わかりやすく解説

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かんこく‐へいごう〔‐ヘイガフ〕【韓国併合】


韓国併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/28 01:42 UTC 版)

韓国併合(かんこくへいごう、: 경술국치(庚戌國恥)/한일병합(韓日倂合)/국권피탈(國權被奪)、: Japanese annexation of Korea)とは、ポーツマス条約の調印後、1910年明治43年)8月29日に「韓国併合ニ関スル条約」へ基づき、大日本帝国大韓帝国[注釈 1]併合して統治下に置いた出来事を指す。朝鮮併合日韓併合日韓合邦とも表記される[1]




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韓国併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)

小村壽太郎」の記事における「韓国併合」の解説

「韓国併合」も参照内閣結んだ第三次日韓協約によって日本韓国支配はさらに強化されたが、小村はさらにそれを進めて韓国日本の領土組み込む方針であった1909年4月10日小村首相とともに一時帰国中の伊藤博文韓国統監のもとを訪ね併合方針示した伊藤併合反対派として知られていたので、当然反対するであろう思って訪問したのであるが、意外にも彼はあっさりと同意した。自ら統監就任し穏やかな手段韓国産業育成教育発展図ろうとした伊藤であったが、穏健な支配でも義兵闘争などの抵抗はむしろ強まり、収まる気配がみえなかったので、辞任考えていたのである伊藤同意によって併合への動き加速した7月6日、「韓国併合に関する件」が閣議決定され、同時に「対韓施設大綱」も策定された。7月下旬には、大韓帝国皇帝廃位して皇帝一族東京に移すことや日本外国との条約基本的に韓国にも適用することなどを記した意見書提出し閣議了承された。 1910年2月28日小村外国駐在大使電報送り、韓国併合に関する注意促した4月5日本野一郎駐露大使は、第二次日露協約交渉中に韓国併合に関するロシア側の意向探った当初はイズヴォルスキー外相懸念表明していたが、4月10日ロシア首相ピョートル・ストルイピンは、ロシアには反対する理由権利もないと語った4月19日小村本野訓令発し適当な時期に韓国併合を実施することについて理解を求めるよう伝えさせたが、ロシアからの反対その後もなかった。 イギリスに対しては、1910年5月19日小村自身マクドナルド駐日大使との会談の際に韓国併合問題について話し合い日本の韓国併合に異存はないとの同意得たが、税率変更については懸念表明なされた日本当時関税自主権の完全回復目指しており、イギリスとも交渉であったが、イギリス過去韓国結んだ条約について改正後関税率適用されることを危惧したのである。これに対し小村関税をしばらく現状のままとし、開港場から馬山除いて新義州加えるなどの措置をとったため、エドワード・グレイ外相安心して満足の意を表し8月3日併合同意意思伝えた5月30日文官併合反対派だった曾禰荒助代えて第3統監として寺内正毅陸相選ばれた。寺内7月23日韓国へ到着して皇帝純宗挨拶し8月13日小村に対して一週間以内併合条約調印する予定であると伝えた併合既定路線であったため、小村は細かい指示与えず寺内交渉委ねた1910年8月22日韓国併合条約調印された。

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韓国併合

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高宗 (朝鮮)」の記事における「韓国併合」の解説

1910年明治43年8月の韓国併合にともない太王王族)の称号与えられ、「徳寿宮李太王」と称された。 1919年1月21日三・一運動起きるおよそ1ヶ月前に67歳薨去した。日本王公族徳寿宮李太王㷩として1919年大正8年3月3日国葬執り行われた。薨去に際して日本による毒殺説流布され葬儀の日に三・一独立運動引き起こすきっかけとなった御陵は洪陵。 なお、日本政府立場においては、「高宗」の廟号および「皇帝」の名称を含む諡号公認するものではなかったが、李王家の「私儀」として黙認した。しかし、墓を「洪陵」と命名し、その石碑立て動きが起こるに及び、宮内省皇族待遇李王家の前当主には「天皇陵」と同等呼称許されないとして(皇族なら「墓」になる)、「陵」の呼称差し止め図った。しかし、洪陵の管理人独断建碑したという形で、「大韓高宗皇帝洪陵」の碑が建った。これは、民族独立機運が高まる中、事態紛糾朝鮮貴族離反恐れた朝鮮総督府黙認のもと、朝鮮貴族らが協力して実現したことであり、総督府働きかけにより宮内省妥協することになった

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