永井 荷風とは? わかりやすく解説

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ながい‐かふう〔ながゐ‐〕【永井荷風】

読み方:ながいかふう

[1879〜1959小説家東京生まれ本名壮吉広津柳浪師事ゾラ影響受けて地獄の花」を発表。アメリカ・フランス遊学後、「あめりか物語」「ふらんす物語」や「すみだ川」などを執筆耽美派中心的存在となる。のち、「腕くらべ」などで花柳界風俗描いた文化勲章受章。他に「濹東綺譚」「つゆのあとさき」、訳詩集珊瑚集」、日記断腸亭日乗」など。→荷風忌

永井荷風の画像
東京雑司ヶ谷霊園にある荷風の墓(中)

永井荷風

作者小島政二郎

収載図書小島政二郎全集 第3巻
出版社日本図書センター
刊行年月2002.2


永井荷風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 01:02 UTC 版)

永井 荷風(ながい かふう、1879年明治12年〉12月3日 - 1959年昭和34年〉4月30日)は、日本小説家。本名は永井 壯吉(ながい そうきち)。に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭(だんちょうてい)ほか。日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。


注釈

  1. ^ 漢字の「荷」には、植物のハスの意味もある。
  2. ^ 「會社にしろ官省にしろ將来ずつと上の方へ行くには肩書がなければ不可(いか)ん」という父久一郎は「貴様見たやうな怠惰者(なまけもの)は駄目だ、もう學問なぞはよしてしまえ」と叫んだという[3]
  3. ^
    亜米利加に来たりてより余が脳裏には芸術上の革命漸く起らんとしつつある如し……
    身海外に在るが故にや近頃は何となく雅致に富める古文の味忘れがたく行李を開きて平家物語栄華物語なぞ取出し独り炉辺に坐して夜半に至る[6]
  4. ^ 『永井荷風 人と作品43』85-86頁によると「父の一周忌が過ぎた頃、八重次との結婚を従兄永井松三に相談したが同意を得られず、これがもとで松三との間が気まずくなった。1916年5月には末弟の威三郎が東京のある工学博士鷲津毅堂の三女誉津と結婚したが、この結婚には荷風と“別戸籍とすること、新居を構へること、結婚式當日荷風を参列させぬこと”などの条件付だった(『荷風外傳』による)。ために荷風は威三郎の結婚以後、次弟貞二郎を別として威三郎をはじめ親類縁者との交際も絶った」という。
  5. ^
    吾々はかのアングロサクソン人種が齎した散文的實利的な文明に基づいて、没趣味なる薩長人の経営した明治の新時代に對して、幾度年間、時勢の變遷と稱する餘儀ない事情を繰返し繰返し嘆いて居なければならぬであらう。
    ……理想の目標を遠い過去に求める必要がありはせまいか[10]
    浪士上りの官吏軍人は直ちに都會の樂事に誘はれ、上下挙っていかに肉樂の追究に馳せしかを知るに足るべし。
    ……幕府を滅ぼせしものは實に西洋なりき、西洋なかりせば薩長の狡智も虚に乗ずる事能はざりしや明なり。明治に至って猶餘命を保ちし江戸趣味も亦同じく西洋文化の為に破壊し盡されぬ。日露戦争後の日本文明は、西洋文明の輸入若しくは模倣と云はんよりも、こは寧毀損或は粗雑な贋造と云ふべく。
    ……われは寧ろ一日も早く固有なる東京趣味の成立せん事を欲して止まざるものなり[11]
  6. ^
    新しき國民音楽未だ起らず、新しき國民美術猶出でず、唯だ一時的なる模倣と試作の濫出を見るの時代……
    余は徒らに唯多くの疑問を有するのみ。ピアノは果して日本的固有の感情を奏するに適すべきや。油畫と大理石とは果して日本特有なる造形美を紹介すべき唯一の道たりや[12]
  7. ^
    大正六年
    九月十六日 秋雨
    連日さながら梅雨の如し
    夜壁上の書幅を挂け替ふ[14]
  8. ^ 近所には俳優山形勲の父親が建てた本格的洋風ホテルがあり、正装して食事に訪れる姿を小学生だった勲が見ている(山形勲#来歴)。 川本三郎『荷風と東京-「断腸亭日乗」私註』「十 山形ホテル」 (勲へのインタビューあり)
  9. ^
    大正八年
    正月元旦
    曇りて寒き日なり
    九時頃目覚めて床の内にて一碗のシヨコラを啜り一片のクロワツサンを食し昨夜読残の『疑雨集』をよむ[15]
  10. ^
    昭和十九年
    十二月初三 快晴 日曜日
    老眼鏡のかけかへ一ッくらい用意し置かむと思ひて昼飯して後外出の支度する時警報発せられ砲声殷殷たり
    空しく家に留る
    晡下警報解除となる
    今日は余が六十六回目の誕生日なり
    この夏より漁色の楽しみ尽きたれば徒に長命を歎ずるのみ
    唯この二、三年来かきつづりし小説の草稿と大正六年以来の日誌二十余巻だけは世に残したしと手鞄に入れて枕頭に置くも思へば笑ふべき事なるべし
    夜半月佳し[16]
  11. ^
    昭和十一年
    二月廿六日
    朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり
    ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず
    余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラツパの声のみ物哀れに聞ゆるのみ
    市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とを恐れ門を出でず
    風呂焚きて浴す[17]
  12. ^
    昭和十五年
    八月初一
    正午銀座に至り銀座食堂に飯す
    南京米にじやが芋をまぜたる飯を出す
    此日街頭にはぜいたくは敵だと書きし立札を出し愛国婦人連辻々に立ちて通行人に触書をわたす噂ありたれば其有様を見んと用事を兼ねて家を出でしなり
    今日の東京に果して奢侈贅沢と称するに足るべきものありや
    笑ふべきなり[18]
  13. ^
    昭和二十年
    三月九日 天気快晴
    夜半空襲あり
    翌暁四時わが偏奇館焼亡す
    余は枕元の窓火光を受けてあかるくなり鄰人の叫ぶ声のたゞならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革包を提げて庭に出たり
    近づきて家屋の焼け倒るゝを見定ること能はず
    唯火焰の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ
    是偏奇館楼上少からぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり[19]
  14. ^
    昭和二十年
    三月十日
    ああ余は着のみ着のまま家も蔵書もなき身とはなれるなり[20]
  15. ^
    昭和二十年
    八月十三日
    谷崎氏を勝山に訪はむとて未明に起き、明星の光を仰ぎ見つゝ暗き道を岡山驛の停車場に至る
    (……)
    午後一時半勝山に着し直に谷崎君の寓舎を訪ふ
    驛の停車場を去ること僅に三四町ばかりなり 戦前は酒樓なりしと云
    谷崎氏は離れ屋の二階二間を書斎となし階下に親戚の家族多く避難し頗雜沓の様子なり
    細君に紹介せらる 年紀三十四五歟 痩立の美人にて愛嬌に富めり 佃煮むすびを恵まる
    一浴して後谷崎君に導かれ三軒程先なる赤岩といふ旅館に至る[22]
  16. ^
    昭和二十年
    八月十四日
    燈刻谷崎氏方より使の人釆り津山の町より牛肉を買ひたればすぐにお出ありたしと言ふ
    急ぎ小野旅館に至るに日本酒もまたあたゝめられたり
    細君下戸ならず 談話頗興あり[23]

    8月14日の夜、谷崎が牛肉を準備し、宿泊していた赤岩旅館で牛鍋を食べた[24]

  17. ^
    昭和二十年
    八月十五日 陰りて風凉し
    宿屋の朝飯 雞卵 玉葱味噌汁 はや つけ焼 茄子香の物なり
    これも今の世にては八百膳の料理を食するが如き心地なり
    飯後谷崎君の寓舎に至る
    鉄道乗車券は谷崎君の手にて既に訳もなく購ひ置かれたるを見る
    雑談する中汽車の時刻迫り来る
    再会を約し送られて共に裏道を歩み停車場に至り午前十一時二十分発の車に乗る
    新見駅にて乗替をなし 出発の際谷崎君夫人より贈られし弁当を食す
    白米のむすびに昆布佃煮及牛肉を添へたり
    欣喜措く能はず[25]
  18. ^
    昭和二十年
    八月二十日 晴
    午後突然轣轆たる車聲の近巷に起るをきく。怪しみて人に問ふに妙林寺の後丘松林深き處に洞窟あり。飛行機材料を隠匿せしが、武装解除となりし爲、日日これを岡山驛停車場に運搬するなり。之に依つて初て七月中旬機銃掃射の近巷に行はれし所以を知れり。予は萬死の中に一生を得たりしなり。
    薄暮後丘に怪鳥の鳴くを聞く。梟に似て梟にあらず。何の鳥なるを知らず。
    旅に出て きく鳥やみな 閑古鳥 — 荷風[26]
  19. ^
    昭和二十二年
    五月初三 雨
    米人の作りし日本新憲法今日より実施の由
    笑う可し[27]
  20. ^ 店名は「大黒」であるが、永井は「大黒」と繰り返し記している。大黒家では永井が毎回食していた並カツ丼、上新香、酒1合(菊正宗)を「荷風セット」として販売していたが、2017年6月を以って閉店した。現在は店内はほぼ末期のままで、建物の所有者である市進ホールディングスが運営する「大人の学び舎大黒家」として屋号を残している。なお浅草にも大黒家天麩羅があるが、荷風が通いつめて天ぷらソバやかしわ南蛮を食していたのは蕎麦処尾張屋のほう。
  21. ^
    昭和三十四年
    三月十五日 日曜日 晴
    正午 大黒屋食
    三月十六日 晴
    正午 大黒屋
    三月十七日 雨又陰
    正午 大黒屋
    三月十八日 晴
    正午 大黒屋食
    三月十九日 晴
    正午 大黒屋
    (……)
    四月廿九日 祭日 陰[28]
  22. ^ 「現代」で約3億円ほど[29]
  23. ^ 吉田精一は、「荷風が我が文壇に『郷土芸術』として送ったものは、田園の生活ではなく、ましてそこに生きる理想と信仰と宗教と道徳ではなかった。『生まれた過去の東京を再現させようと思って、人物と背景とを隅田川の両岸に配した』(正宗谷崎両君の批評に答ふ)結果は、ただ過去と伝統につながる江戸生活の、敗残零落した姿と、そこに傷つき蠢いている、うす暗い、やがては時代の波に押し流されて行くべき生活となった[37]。」と見ており、秋庭太郎は、「荷風が京都を愛したのは、その歴史的背景よりも京都の風景と生活とに触れて、その日本的につくられた文化を好ましく感覚的に芸術的に愛したのであって……京都から遠くもない奈良には一度も出向いていない。こゝにおいても既説の如く歴史宗教に対する無頓着さが窺れる」と指摘している

出典

  1. ^ a b c d e 加太宏邦「荷風の周縁世界編制:銀行時代の荷風をめぐって」『法政大学多摩論集』第27巻、法政大学多摩論集編集委員会、2011年3月、35-81頁、doi:10.15002/00007418hdl:10114/6573ISSN 09112030NAID 120003221942 
  2. ^ 『断腸亭日乗』1936年3月18日。
  3. ^ 『永井荷風 人と作品43』23頁
  4. ^ a b 永井荷風ブリタニカ国際大百科事典小項目事典
  5. ^ 秋庭太郎『考証 永井荷風』岩波書店
  6. ^ 『西遊日記抄』明治三十七年一月四日
  7. ^ 『書かでもの記』(2009年版「全集 第13巻」岩波書店)。
  8. ^ 2009年版「全集 第9巻」岩波書店。
  9. ^ 巌谷小波『私の今昔物語』
  10. ^ 『靈廟』明治四十四年
  11. ^ 『東京の夏の趣味』大正二年
  12. ^ 『江戸藝術論』大正三年
  13. ^ 『荷風随筆集(下) 小説作法』岩波文庫。
  14. ^ 断腸亭日乗 1917年9月16日
  15. ^ 断腸亭日乗 1919年1月1日
  16. ^ 断腸亭日乗 1944年12月3日
  17. ^ 断腸亭日乗 1936年2月26日
  18. ^ 断腸亭日乗 1940年8月1日
  19. ^ 断腸亭日乗 1945年3月9日
  20. ^ 断腸亭日乗 1945年3月10日
  21. ^ 谷崎潤一郎:『疎開日記』、『谷崎潤一郎全集 第16巻』中央公論社(1982)所載。
  22. ^ 断腸亭日乗 1945年8月13日
  23. ^ 断腸亭日乗 1945年8月14日
  24. ^ a b 『断腸亭日乗』1947年7月 - 8月。
  25. ^ 断腸亭日乗 1945年8月15日
  26. ^ 断腸亭日乗 1945年8月20日
  27. ^ 断腸亭日乗 1947年5月3日
  28. ^ 断腸亭日乗 1947年3月15日ー4月29日
  29. ^ 関川夏央『やむを得ず早起き』小学館 2012年
  30. ^ 半藤一利『荷風さんの戦後』ちくま文庫。
  31. ^ 『断腸亭日乗』1937年6月22日。
  32. ^ 市川市名誉市民・市民栄誉賞”. 市川市. 2022年8月8日閲覧。
  33. ^ 『断腸亭日乗』1940年6月16日。
  34. ^ 消えゆく浅草の灯り 踊り子減り、小屋転業『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月3日夕刊 3版 11面
  35. ^ 『バガボンド』(漂泊者)ー永井荷風の好色人生と野垂れ死考 ③生涯一人暮らし、娼婦、芸妓、女給20人以上と女性遍歴とは・・”. 前坂俊之オフィシャルウェブサイト. 2019年7月22日閲覧。
  36. ^ 『永井荷風傳』秋庭太郎
  37. ^ 『永井荷風』吉田精一
  38. ^ 『文豪たちの噓つき本』、2023年4月発行、彩図社文芸部、彩図社、P147
  39. ^ 『新潮日本文学アルバム 23 永井荷風』(略年譜)より。
  40. ^ 秋庭太郎『考証 永井荷風』
  41. ^ 永井氏系譜(武家家伝)
  42. ^ 秋庭太郎『考證 永井荷風』
  43. ^ 了願寺由緒沿革
  44. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』P.973
  45. ^ 大衆人事録 第11版、帝国秘密探偵社、1935年。
  46. ^ a b 根岸の女 : 九鬼周造と荷風小浜善信 研究年報 巻48 2012-03-23
  47. ^ 岩波書店、1971年 - 1974年版『荷風全集』第12巻巻末の、『後記』。
  48. ^ 柳永二郎 『木戸哀楽 新派九十年の歩み』、読売新聞社(1977年)ほかより。
  49. ^ YouTube『すみだ川』
  50. ^ M YouTube『渡り鳥いつ帰る』


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永井荷風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:41 UTC 版)

洲崎 (東京都)」の記事における「永井荷風」の解説

小説家の永井荷風は「断腸亭日乗」などの著書吉原と共に戦前洲崎遊郭風情幾つかの小説書きとどめており、往時の姿を伺うことができる。

※この「永井荷風」の解説は、「洲崎 (東京都)」の解説の一部です。
「永井荷風」を含む「洲崎 (東京都)」の記事については、「洲崎 (東京都)」の概要を参照ください。


永井荷風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/20 06:26 UTC 版)

耽美派の作家」の記事における「永井荷風」の解説

明治12年(1879)~昭和34年1959)。本名壮吉別号断腸亭主人東京小石川生まれ広津柳浪門下生ゾラモーパッサン影響を受け、明治35年地獄の花』を発表父の命渡米、後、フランス渡り明治41年帰国、『あめりか物語』などの作品発表した。同43年森鴎外推挙慶大文学部教授になり、「三田文学」を主宰した。荷風生涯反抗貫かれており、初期ゾラ影響受けた自然主義文学作品を、そして帰国後は自然主義的手法ではあるが、江戸文化傾倒し花柳界取材した享楽的作品書き一種世紀末的美が追究されている。

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