遊学とは? わかりやすく解説

ゆう‐がく〔イウ‐〕【遊学】

読み方:ゆうがく

[名](スル)故郷離れ、よその土地や国へ行って勉学すること。「英国に—する」


留学

(遊学 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 10:25 UTC 版)

留学(りゅうがく、るがく)とは、自国以外のに在留(ホームステイ等)して学術・技芸を学ぶことをいう。3か月以内を短期留学、それ以上を長期留学と言う。広義には自国内の遠隔地に生活拠点を移して学術・技芸を学ぶこと(国内留学)を含める場合もある。


注釈

  1. ^ 高専、専修学校を除くと、総数は93,804名、国費留学生数は9,312名となる。「「外国人留学生数」総務省統計局(2006年5月1日現在)

出典

  1. ^ 手塚竜麿、「幕末・明初にラトガーズで学んだ日本人」 日本英学史研究会研究報告 1967年 1967巻 70号 p.1-5, doi:10.5024/jeiken1964.1967.70_1
  2. ^ 「トビタテ!留学」で性被害報告 文科省が実態調査へ 教育新聞
  3. ^ 『教科書には載っていない!戦前の日本』84頁
  4. ^ 各数値は、各年5月1日現在。専修学校専門課程の留学生を含む。文部科学省学術国際局留学生課調べ。
  5. ^ 日本学生支援機構「平成17年度 私費外国人留学生生活実態調査」。また、若林亜紀『サラダボウル化した日本――外国人“依存”社会の現場を歩く』光文社、2007年も参照のこと。
  6. ^ 総務省『留学生の受入れ推進施策に関する政策評価書』平成17年1月
  7. ^ 「エステで不法在留中国人働かす、立命大留学生ら逮捕」『読売新聞』2007年6月30日
  8. ^ 法務省「プレスリリース(平成19年2月) 本邦における不法残留者数について
  9. ^ 文部科学省ほか「「留学生30万人計画」骨子
  10. ^ a b 山本冴里「サイバースペースにおける排外的言説の構成 -留学生30万人計画に関する国会質疑の録画を起点として-」『言語政策』第9号
  11. ^ 「夢を食い物に学校は肥え太る」鎖で拘束の日本語学校、元職員が語った“歪んだ留学生ビジネス” | TBS NEWS DIG (2ページ)
  12. ^ 「中国が世界最大の「留学生輸出国」に 」サーチナ・中国情報局、2008年4月3日付配信
  13. ^ 頭脳流出を食い止めろ!国費留学生は「お礼奉公」を義務付けRecord China、2007年9月27日
  14. ^ 頭脳流出の阻止に成功、国費留学生の98%が帰国」Record China、2007年10月20日
  15. ^ "中国人留学生、100万人が海外に滞在:中国教育部"、Record China、2009年3月28日配信、2009年4月9日閲覧
  16. ^ "改革30年我国出国留学生139万 回国率不足三成"、河南省教育网公式webページ(中国語)、2009年4月9日閲覧
  17. ^ 「〈就職難〉留学帰りの「海亀」、今ではすっかり「海草」扱いに」Record China、2008年3月26日付配信
  18. ^ [1]



遊学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 06:22 UTC 版)

酒泉竹軒」の記事における「遊学」の解説

承応3年1654年筑前国警固浪人堤正直の2男1女の子として生まれた6歳で父と死別し母栗野氏に育てられた。9歳平田某に書を学んだ寛文10年1670年江戸出て前橋藩酒井忠清藤堂和泉守等と接触した延宝5年1677年)頃長崎出て唐通事本木家滞在し病気の治療を受けつつ、周麟書道学んで同門今井元昌交流し清人中国語唐様書道学び唐通事彭城仁左衛門仁右衛門深見玄岱等と交流した数年後京都上り貞享2年1685年4月9日小河茂介成材の紹介伊藤仁斎入門したが、師は多忙で、生活の見通しも立たなかったため、貞享3年1686年5月今井元昌相談して江戸出て壬生藩三浦明敬出仕した村松藩堀直利鳥羽藩土井利益からも誘いがあったが、小藩のため断った

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遊学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:13 UTC 版)

赤松小三郎」の記事における「遊学」の解説

嘉永元年1848年)、江戸に遊学。幕臣数学者内田弥太郎マテマティカ塾に入る。 嘉永5年1852年)、西洋兵学者下曽根信敦入門安政元年1854年)、赤松家養子となる。 安政2年1855年)、勝海舟入門し、勝の従者として長崎海軍伝習所に赴き、オランダ人より語学航海測量騎兵学等を学ぶ。 安政5年1858年)、オランダ兵書矢ごろのかね 小銃彀率』を翻訳し出版安政6年1859年4月長崎海軍伝習所閉鎖により江戸に戻る。咸臨丸への乗船希望するも、選ばれず。

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遊学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:36 UTC 版)

トーベ・ヤンソン」の記事における「遊学」の解説

1938年奨学金得てパリ生活したモンパルナスセーヌ川左岸拠点とし、日中リュクサンブール公園過ごした家族向けた手紙には地図描いて送り学んだことをフランス語記録した。この時期に、かつて両親住んでいたモンパルナス一角訪ねている。 フィンランド人芸術家が集まるサン・ジャック通りフランス語版)のオテル・デ・テラスに引っ越したアンリ・マティスシュザンヌ・ヴァラドン色使い構図にも影響受けた美術学校エコール・デ・ボザール入学したが、トーベには息苦しかった。他方スイス人のアドリアン・オリーが設立したアトリエでは自分ペース制作ができたので、トーベはそこに留まった。オリー芸術家自身自分の道を決めさせる教育方針をとっており、トーベ自分スタイル決め助けになった6月にはブルターニュ旅行した1939年には新たな奨学金得てイタリア王国旅行しパドヴァフィレンツェ美術館博物館修道院教会めぐったトーベジョットはじめとするルネサンス芸術好んだイタリア旅行時期には戦争気配も近づいており、黒シャツ隊ナチス・ドイツヒトラー批判する意見書き残している。イタリアで最も印象残ったのはヴェスヴィオ火山噴火月の光で手紙詳しく描写している。

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遊学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:49 UTC 版)

渡辺弗措」の記事における「遊学」の解説

文政元年1818年10月8日丹波国多紀郡篠山篠山藩下級藩士の子として生まれた天保3年1832年4月京都出て猪飼敬所師事し大塩平八郎経義論じ福井丹波守に二十二史借覧した。 天保5年1834年9月敬所に従い斎藤景定大和国紀伊国旅行し、「従遊記」を著した11月26日篠山藩学資3人扶持給され天保9年1838年5月2人扶持加増された。天保年間敬所に従い伊勢津藩赴任し斎藤拙堂土井聱牙石川一郎川村等と交流した天保12年1841年12月19日新規独礼に取り立てられ擬作米(あてがい)8石3人扶持給され藩校教導方を命じられた。弘化2年1845年篠山餌差町東新町)に積水塾を開業し漢学教えた弘化4年1847年4月江戸出て佐藤一斎入門し筋違見附篠山藩上屋敷子弟教授した嘉永元年1848年2月火災遭い、文稿・衣服焼失した4月昌平坂学問所入塾し程なく舎長となり、菅野白華重野成斎等と交流した嘉永2年1849年3月修業し水戸旅行して藤田東湖会沢正志斎等と交流した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:21 UTC 版)

市川兼恭」の記事における「遊学」の解説

天保9年1838年11月 緒方洪庵適塾入門蘭学を学ぶ。 弘化元年1844年) 頃から 杉田成卿蘭学を学ぶ。佐久間象山箕作阮甫親交

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